Seventh Heaven
久々にブログ更新。
気が付けばもう10月も終わってしまった。
ハロウィンの熱狂っぷりを伝えるニュースを見ると「あぁもう10月も終わるんだな」と実感してしまう。
ハロウィンの熱狂っぷりについては、あれはやはり「東京」の「渋谷」という場所だからこそ生まれるものなんだと思う。東京という都会の中心だからこそ渦巻く熱狂というか。
人が大勢いるあの場所だからこそ起こりうる熱狂なんだろうなと思う。
昔、渋谷に行った事があるけれど頭に紙袋を被った三人組が路上ライブをしていた、ハロウィンではないのに。
あの三人組は今でも路上ライブをしているのだろうか、謎だ。
「自分の人生で大切な10曲」を選び対談するこの番組。
「くるり」の代表曲「東京」に関するエピソードを聞いたら久々に「東京」を聴きたくなった。
又吉直樹といえば小説『火花』は言わずもがな最高傑作なのだが、かつて「ラフブロ」で公開していたブログもすごく面白くて何度も読み返していた。
最近よく聴いてる曲は「Seventh Heaven」L'Arc-en-Cielのこの曲をPOLYSICSがカバーしたバージョンがあるのだがこのカバーが最高で最近は何回も聴いてる。
先日、高校生の頃からの友達と久々にカラオケに行った時にL'Arc-en-Cielの「Seventh Heaven」を歌ってしまうくらいにハマってしまった。
俺は西野亮廣のファンである。
かつて「ラフブロ」で公開されていたブログ「西野公論」を読み耽っていたし、何年も前になるが「KING KONG LIVE」を観に行った際、ライブの後に西野亮廣の小説『グッド・コマーシャル』にサインをして頂いた事もある。
「西野亮廣独演会」のDVDはもう何度見た事だろうか。
そんな大ファンの俺もめちゃめちゃ笑ってしまうくらいに神回だった。
ウォークマンをシャッフルモードにして音楽を聴きつつ、ブログを更新した。
聴いた音楽はこちら。
「Seventh Heaven」
「オー・シャンゼリゼ」
奇妙礼太郎トラベルスイング楽団
「Sweet & Sweet」
「賛歌」
爆弾ジョニー
「Undone(The Sweater Song)」
「Good-Bye Myself」
「LIFE IS ONE TIME」
TKda黒ぶち
「朝の歌」
「ハライチのターン!」相方のノリボケに「名前をつけてやる」ようなハライチ岩井勇気の底知れぬトーク力と面白さ。
TBSラジオで、この秋からアルコ&ピース、うしろシティ、ハライチのお笑い芸人三組がそれぞれ新しいラジオ番組を始める。
深夜ラジオが大好きな俺にとっては衝撃的なニュースだった。
ハライチ単独のラジオ番組が始まる。
密かに「ハライチ単独でラジオ番組始まらないかな」と思っていたので「アルコ&ピース D.C.GARAGE」「うしろシティ 星のギガボディ」も楽しみだったが一番楽しみだったのは「ハライチのターン!」だった。
雑誌『新 お笑いラジオの時間』ラジオで活きる「じゃない方芸人」大特集!と銘打たれたこの一冊にハライチの岩井勇気のインタビューが載っている。
「ハライチ面白いよね」というと多分、数多大勢の人たちがバラエティ番組での活躍も目立つ「澤部」の方を思い浮かべるだろう、もちろん「澤部」も面白い、面白いのだけど相方「岩井勇気」も面白いのだ。
『新 お笑いラジオの時間』は何度も読み返しているのだが、個人的に一番読み返している記事は間違いなく岩井勇気のインタビューだ。
インタビューで岩井は、中学生ぐらいの頃から深夜ラジオを聴いていた相方とは対照的にほとんど深夜ラジオを聴いてこなかったと話している。
そんな深夜ラジオを聴かずに過ごし深夜ラジオの影響下にいない岩井が、深夜ラジオで話すエピソードトークは独特でどれも面白い。
「ハチミツを買いに行く」「たまごっち」「カーナビ」岩井独自の感性とフィルターを通した瞬間に面白さが倍増する。
予測不能の展開が待っていたりする不意打ちのような独特なフォームのエピソードトークの数々に俺は何度も笑ってしまった。
俺もスピッツの曲が大好きなのですごく嬉しい。
「ハライチのターン!」内でリスナーからのメールで「影響を受けたお笑い芸人は誰ですか?」という質問が来てノリノリで答えようとする澤部を止めようとしたり、影響を受けたお笑い芸人を答えようとせず口ごもり澤部から「ダメだこいつマジで」と苦笑い気味の口調で言われてしまう、深夜ラジオのレールにノリたがらない『放浪カモメはどこまでも』自由だ。
ハライチのラジオと出会った奇跡がこの胸にあふれてる 深夜ラジオ特有のノリを岩井が拒んでもずっとそばで笑っていてほしい。
「好きな芸人言え!」
「言わねぇよバカ!」
面白すぎる二人のトークが『夜を駆ける』
スピッツの『運命の人』の歌い出し バスの揺れ方で人生の意味が解った日曜日、人生の意味は解らないけど、バスの揺れ方ではなく二人の話し方で退屈な夜はずっと面白くなる事が解った木曜日。
毎週木曜「ハライチのターン」が楽しみな日々だ。
映画「何者」を観た。俺ら、何者にもなれないってよ。
「俺が朝井リョウの小説『何者』を読んだのはいつだっただろうか」そう思い、mixiの日記に書いていたはずなので見てみた。
日記によれば、朝井リョウの小説『何者』を読んだのは2012年の12月10日らしい。
物語の面白さとスリルに打ちのめされて一気に最後まで読んだ事を覚えている。
数年前の自分の日記やつぶやきを読み返したらコメント欄に「退会したユーザー」の文字が並ぶ、まるでもう誰もいなくなった惑星に一人不時着したような孤独感すら感じる。
ある日の日記のタイトルが「さっき塩タンタン麺と入力しようと思ったら、間違えて塩タイタン麺になっていて焦ったのは内緒だよ。」で我ながら「くだらねー」と苦笑いしてしまった。
ちなみに遡って読んでみると、その日記を書いた何日か前に朝井リョウの小説『もう一度生まれる』を読んでいた事がわかった。
あの頃の俺に言ったらどんなリアクションするだろうか「レンタルビデオ屋さんに迷い込んできた野良犬がマドンナのMVをジッと見ていたのを目撃したことがある」だなんて事をmixiの日記に書いていた俺に。
もっとmixiを遡れば、もしかしたら『人間失格 三浦大輔戯曲集』を読んだ事が書いてあるかもしれないと思ったけれど、5、6年前の自分の日記を読み返し続ける作業は疲れるし気恥ずかしさもある、それに古傷をえぐるような内容と正面衝突したり、堰を切ったように懐かしさがあふれそうになりそうなのでやめておいた。
人気女優俳優の勢揃いの顔ぶれを見て「就活をする大学生の青春譚」とだけ思い「甘酸っぱい恋愛があるのかなー?佐藤健イケメン、有村架純可愛い!」なんてほんわか思っている少年少女たちに夢を一切見せない容赦なきシビアな世界。青春時代真っ只中を抜け「そろそろ進路を考えた方がよくね?」と思っている若者たちが見たらなかなかに心に刺さるものがあると思う。
の終わりの前夜祭のような賑やかさとは裏腹に就職のシビアな現実も描かれていく。
物語の主人公は全員大学生、高校卒業してすぐに働き始めたので大学には行っていない俺ですら高校中の就職活動の気まずさを思い出してしまう程だった。
履歴書を書く度に武器の少ない己のステータスを目の当たりにしているようで苦しかった事、電車に揺られ見ず知らずの町に行き就職試験を受けに行くのはすごく不安だった事、「働く」と決心した俺宛に送られてくる専門学校のパンフレットを「働くと決めたのに送ってくんなよ、学校」と不条理な怒りが込み上げた事。
そんな高校生の頃にTwitterをやっていたらどうなっていただろうか。
映画でも原作小説でも「何者」の物語においてTwitterは重要なツールとなっている。
こんなタイトルをつけてしまうのだから「何者」に登場する「烏丸ギンジ」の存在は直視するのがちょっとキツかった。「激団 毒とビスケット」を主催し演劇の世界で活動している人物だ。
劇団ではなく「激団」と称している辺りがなんか、もう、なのである。
菅田将暉演じる「神谷光太郎」がボーカルギターのバンド「OVERMUSIC」このバンド名もなかなか、こう、ニヤニヤしてしまうものがある。
解散後、明るかった髪色を黒に染め就活すると拓人に話す光太郎。
映画「何者」の物語は就活を軸に動き出し、瑞月の友達二階堂ふみ演じる理香と意気投合し四人は就活へと打ち込んでいく。
そんな四人へ「就活はしない」と話す、理香と同棲中の岡田将生演じる隆良、このキャラクターが絶妙だった。
自転車、飲んでるビール、クラッチバッグ、丸メガネ、本、服!「こういう人、いる!」感がたまらない。オシャレ極めまくりのあの感じ。クリエイター系男子隆良と拓人のバイト先の先輩である、山田孝之演じるサワ先輩が物語に絶妙なスパイスをふりまく。
そしてかつては二宮拓人と演劇活動をしていた烏丸ギンジも物語のキーパーソンとなっていく。
就職先が決まらず苦悩する拓人、一方の烏丸ギンジは演劇活動を続けている。
自分が熱中したもの好きなものを糧に表現者として生きるギンジ、誰もが青春時代に憧れてしまうシチュエーションである。
この「Twitterというツールを物語に落とし込む感じ」が心地良かった。
それぞれの登場人物のTwitterの作り込み具合、そしてTwitterの頻度もいい、拓人は常にスマホを気にしているが光太郎や瑞月はあまりそういう描写がない。拓人が光太郎と瑞月へ、隆良と理香のツイートを見せ「何で直接話さないんだろうね」というようなセリフをしゃべるシーンがあるのだが、あのセリフ後の光太郎と瑞月の気まずい沈黙、なんだろうかあのリアルな感じは。
劇中で拓人の吐くタバコの煙のように、まとわりつく全てを煙に巻いて呼吸し続けることは実は息苦しい、天真爛漫な光太郎と純粋無垢な瑞月の存在が冷静に分析する事で自分を守っているつもりの拓人にはきっと眩しく感じるのではないかと思う。
何気ない爽やかな青春群像劇と思いきや、自意識や人間の妬みや嫉み、痛みが混じり合う苦い青春。
巷に流行する甘酸っぱく胸きゅんな恋愛青春映画に「リアルと思い通りにならない絶望」という鉄槌を振り下ろすかのような作品である。
意識高い系と揶揄され就活活動に打ち込む理香、ネットで辛口評価を受けながらも演劇を続ける烏丸ギンジ、内定を得た光太郎と瑞月、誰の生き方もきっと大変なのだ。現実はドラマチックにはいかない。
映画「何者」は、後半あるシーンを境に物語が豹変する。まるで物語のベールが取られ、三浦大輔演劇のメソッドが脈々と流れる物語の心臓を見せられたかのようなハッとする瞬間だった。
青春時代の終わらせ方をわからない拓人の孤独が胸に残る。
きっとこんなブログも「映画 何者 拓人」でエゴサーチした拓人から暗い部屋で読まれて冷笑されるのだろう。
入れ替わるのは映画「君の名は。」だけじゃなかった「イタい」と「笑い」が入れ替わるコント師 うしろシティ。「うしろシティ 星のギガボディ」を聴いた。
「先生、じゃあ今度はベルベット・アンダーグラウンド流して下さいよ」
中学生の頃、英語の授業の時に先生がビートルズの曲を流してくれる事があった。
ある日の授業中、いつものようにビートルズの曲を流し終えた先生へ向って俺が言った言葉がそれだった。
ベルベット・アンダーグラウンドなんて名前しか知らないくせに、背伸びしたかったのだろう。
先生は少し苦笑いしながら「CDはどこかな?」と言ってくれた。
俺はCDは持っていなかった、ベルベット・アンダーグラウンドは流れずに英語の授業は終わった。
こんな思春期特有の「イタい」や「ダサい」が持つ独特で歪な「笑い」をコントに落とし込んでるコンビがいた。
阿諏訪と金子の2人によるお笑い芸人「うしろシティ」である。
学生に扮した2人が次の文化祭でバンドをやろうと計画する。金子は「いいよ!」と軽く承諾するも阿諏訪が考えてるバンド名や曲名の独特な発想に顔色が変わるコントや、バンド系で言うと記憶喪失になった金子に同じバンドの阿諏訪が「何も覚えてないのか!?」とバンドの名前やコンセプトを説明するという金子の「世界観強ぇな!」のツッコミが炸裂するコントも忘れ難い。
かつての「キングオブコント」決勝でも披露された、いかにも上京しそうな阿諏訪を金子が「阿諏訪くんみたいな人、いっぱいいるけど大丈夫!?」と不安そうに引き止めるコント、上京に憧れすぎてこじらせてる阿諏訪の若者描写が巧みですごく面白かった。
うしろシティのコントのセンスがすごく好きだ。
ある種古典的な「ぶつかった二人が入れ替わる」というテーマもうしろシティの二人にかかればスタイリッシュに豹変する。
バイト先に急いでいた金子は入れ替わった阿諏訪にバイトへ行ってくれるように頼む「あそこのローソンなんで」「無理ですよ僕も今からあそこのセブンイレブンでバイトが」と言って焦っていた二人は「大丈夫そうですね」と落ち着く。
入れ替わっても意外に大丈夫だというこのコントがとにかく面白かった。
その後のお互いの彼女のくだりやスマホを巡るやりとり、オチの切れ味も全部好きでこのコントをキッカケにうしろシティのコントにハマりDVD「町のコント屋さん」「アメリカンショートヘア」「うれしい人間」を観てさらにハマっていった。
ラジオ「うしろシティのオールナイトニッポンR」をドキドキワクワクしながら聴いた。
ラジオ中に海外のバンド「コールドプレイ」の曲を流した阿諏訪はコールドプレイを知らないと話す金子に「コールドプレイ知らないの!?」と驚きを隠せなかったあのやりとりが印象的だった。
一時期この番組にどハマりした俺は過去放送を聴き漁っていた。
ある日遠出するために車で出かけた時があったのだがほぼずっと「デブッタンテ」の過去放送ばかり聴いて運転していたのが懐かしく思える。
特にうしろシティの阿諏訪のフリートークと流す曲のセンスが強烈に好きでそこに惹かれていった。
そして阿諏訪によるポエムの朗読から始まった。
「大地は雨を手に入れて海を作った
レンブラントは筆を手に入れて
カンバスを染めた
ボブディランはギターを手に入れて
音を紡いだ
岡本太郎は爆発して
ジョンレノンは平和をせがんだ
僕らは一体何を手に入れた?
何を手に入れる?
そんな過去と自分と未来を照らす
みんなの心 ギガボディ
人間誰しもが持つギガボディの部分
それは時代を越えて
流動的に繰り返されるエレメント
そんな当たり前の事を考えながら
町を背に僕は行く
さぁ みんな 始めよう
今日もこりずに
夜がやってきたようだ」
ひっくり返りそうになる程、衝撃的なオープニングだった。
「何やってんだよ」と驚く金子、その後もポエムについて話す阿諏訪にツッコミをいれていく金子の発言にニヤニヤしてしまった。
第二回放送のネタコーナーで出てきた「バルログ」という単語からストリートファイターの話へ。バルログを好きで使っていたという阿諏訪、阿諏訪が当時聴いていたストリートファイターのCDの話で盛り上がる。
こういう懐かしさのあるエピソードトークが俺は本当に好きだ。
アルコ&ピースのANNが全然全部無くなってチリヂリになったってもう迷わない1から喋り始めるさむしろTBSからラジオを始めてみようか「アルコ&ピース D.C.GARAGE」の初回放送を聴いた。
あの頃俺は「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」の過去放送を聴く事が生きがいだった。
アルコ&ピースというコンビは「レッドカーペット」や「レッドシアター」などのネタ番組で何度か見た事があった。
バイトの面接を行う若者と店長の立場が入れ替わる「逆面接」などコントの設定が面白くて好きだった。
テレビで見た事があるのはネタのみ、つまりコントの世界のアルコ&ピースしか知らなかった。
だが「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」を聴いて驚愕する、コント以上に二人のラジオは面白かった。
「ナインティナインのオールナイトニッ本」の付録CDを聴いて深夜ラジオの面白さに打ちのめされた俺は、気になった深夜ラジオの過去放送を聴き漁りまくった。
そこで出会ったのが「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」なのである。
エリッククラプトンとローリングストーンズという大御所の海外ミュージシャンが来日中という事にちなみ、アルコ&ピースの二人がクラプトン派、ストーンズ派に分かれて対決するという回があった。両ミュージシャンに強い思い入れが無い二人だったので煮えきらない空気だったが、「クラプトン派」「ストーンズ派」のそれぞれのメールを読んでいき、負けた方は自分のミニ四駆のパーツを一つずつ没収されるというルールが追加されたことにより、ミニ四駆にハマりだしていたアルコ&ピースの二人は一気にヒートアップする、ミニ四駆のパーツをかけた勝負に一喜一憂する二人、とにかくこの放送がめちゃめちゃ面白くてこの回をキッカケに一気にアルコ&ピースのラジオにのめり込んだ。
それまでの印象はコントのキャラクターを演じる「アルコ&ピース」だったのだが、ラジオを聴いているとコントのキャラクターではなくコント師「アルコ&ピース」としての「平子」と「酒井」の人間味がわかってきてそれもまた面白かった。平子のフラッシュモブについてのエピソードトークはめちゃめちゃ面白かったし、平子に対して冷静にツッコミを入れる酒井も面白かった。
2014年のとある放送日が「世界海賊口調日」という事で「退屈な日常から抜け出したい奴らが自由を求めて番組という名の船に乗り、放送という名の大海原を電波に揺られて旅をする」と海賊とラジオも一緒だと吠える平子、オープニングから神回の予感が漂うこの回は「全国にいるすごいラジオDJ」をリスナーから募集。インパクトのあるラジオDJの紹介が相次ぎ震え上がる二人のテンションに笑いを堪えきれなかった。
クリスマスが近づいてきている12月、スペシャルウィークも終わり、今回はゆるやかなラジオにしようと「最高のクリスマスプレゼント」と題してラジオを始めようとする平子、だが一筋縄ではいかないのがアルコ&ピースのラジオなのである。
平子の息子「イチルくん」がスタジオにいない!と気付いた酒井は「いつもスタジオに連れてきてるみたいになるから」と言う平子の言葉に耳を貸さずどんどん間違った推理を進めていき「イチルくんが家にひとりぼっちじゃないか!」と叫ぶ、流れるBGM「あ!ホームアローンだ!何だ今日ホームアローンやんのか!?」と平子が言う、またも神回の予感である。映画「ホームアローン」にちなみ「ひとりぼっちで家にいるイチル君に空き巣に入られないためのアイディア」をリスナーから募集、映画「ホームアローン」にちなんだアドバイスもあるがとんでもない発想のアドバイスもあり、とにかくこの放送も笑いを堪えきれなかった。「BOSEのスピーカーでRIZEの曲を流して聴いてる」というネタが一番面白かった。
ラジオという密室で二人の声だけで作り上げられていくラジオはリスナーの想像力を駆り立てる。
アルコ&ピースのラジオももちろんそう、海賊、ホームアローンなどのテーマにちなんだメールにより「ラジオコント」は白熱していく。
「劇場型ラジオ」とも評されるこの世界観が魅力的である。
劇場型、或いは「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」から「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」へ昇格しその後まさかの「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」へ戻るという激動型のラジオだったこの番組、永遠に続くかと思ったこのラジオも最終回を迎えた。
ラジオが終わる事を知った瞬間、思わず俺は「嘘だろ」と呟いてしまった。しかし嘘では無かった。
アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロは終わった。
2016年秋、最終回から時は経ち、TBSラジオにてアルコ&ピースのラジオが始まる事を知った瞬間に、俺は思わず「嘘だろ」と呟いてしまった。しかし嘘では無かった。
「アルコ&ピース D.C.GARAGE」が始まったのだ。ワクワクしながら初回放送を聴いた。
2012年の「THE MANZAI」で披露した代表ネタ「忍者」を彷彿とさせるようなオープニングでのやり取りにニヤニヤしてしつつ、番組の最後までアルコ&ピースのラジオが始まった嬉しさを噛みしめながら聴いていた。番組名にある「D.C.GARAGE」の「D.C」についての説明のヤバさは相変わらず面白いし、コーナーについての説明の時にRADWIMPSの「前前前世」が流れてきた時はめちゃめちゃ笑ってしまった。大好きな曲なのだけれど。
真夏に放たれた「芸人キャノンボール2016 in summer」という豪速球
「あの年の夏はみんなポケモンGOばかりやっていたよな」
この先何年か後の夏、今日みたいに暑い八月、きっと誰かがそんな事を言うと思う。
そしたら俺はこう言いたい「あの夏って、芸人キャノンボール2016があった年だよね」と。
まだまだ茹だる炎天下の夏の夜、その番組は突如として出現した。
「芸人キャノンボール2016 in summer」
番組のタイトルだけでは、どんな内容かはわからない視聴者がほとんどだろう。
600分あるこの作品が120分弱に編集され「劇場版テレクラキャノンボール2013」として映画館で公開された。
口コミで噂は広まり、異例の大ヒット。爆発的なブームを巻き起こした「テレキャノ」はその後、「劇場版BiSキャノンボール」として再び銀幕へと蘇った。
BiSというアイドルの解散ドキュメンタリーをAV監督たちが撮影するという衝撃的なその内容はさらなる話題を呼んだ。
そしてついに2016年の元旦に「芸人キャノンボール」がテレビで公開された。
「テレキャノ」の「AV監督が各エリアで一般女性をナンパしながら車やバイクでゴール地点を目指してレースする」ルールを「芸人が各エリア毎に出されたお題に合った(にらめっこが強い人 など)人をスカウトして対決、車でゴール地点を目指してレースする」として落とし込んだこの番組。
「テレクラキャノンボール」の本来の持ち味である「ドキュメンタリーとしての面白さ」を抽出した「芸人キャノンボール」俺はオープニングしか観る事が出来なかったのだが、番組冒頭から意気揚々と喋る出川哲朗の胸元にキックを喰らわす有吉弘行の映像を観る事が出来ただけで俺は大満足だった、幸せな元旦。
「ドキュメンタリー」としてそこに描かれているリアルと本音に打ちのめされた、ビーバップみのるさんの軽妙洒脱な語り口はモノマネしたくなるくらいに面白いし、クライスラー3000を操る嵐山みちるさんはとにかくカッコよくて憧れる。
BiSキャノンボールなんてBiSメンバー全員と恋に落ちかけそうになるくらいに蠱惑的な魅力があった、BiSについて全然知らなかったけれどこの作品がキッカケで曲を聴くようになった。
振り返っていたら、堰を切ったように「キャノンボール」シリーズへの思いの丈が流れてきた。
だから「芸人キャノンボールがこの夏復活!!」という言葉に心が踊った。
しかも夏というのがいい。
真夏に芸人が「笑い」を求めてレースをする、最高の企画だと思う。
とにかくワクワクした。
「TV版芸人キャノンボール2016 in summer」という文字が画面片隅に見える。
何気ない街の映像が流れ始める。
ローカル番組にゲリラ出演する芸人たちを映す様々なテレビ、それを見つめる人、通り過ぎる人。
そのバラエティ番組とは思えない雰囲気に戦慄した、とにかくカッコ良かった。
「今から始まる番組は普通のバラエティ番組じゃないんだ」と思った。
番組の演出・プロデューサーである藤井健太郎のツイートの言葉を借りるならば「芸人キャノンボールはドキュメントでドラマでバラエティ」という事だ、劇団ひとりがポケモンGOしようぜと言い始めたりとにかく自由奔放。そして今回も出川哲朗の胸元目掛けて有吉弘行の蹴りが炸裂、それが合図かのように芸人キャノンボールが始動する。
車へ乗り込む芸人たち。
胸が高鳴る。
芸人キャノンボールがある夏が始まる。
バカリズムの策略家っぷり、「これがキャノンボールだから」と呟くクールすぎるおぎやはぎ小木、田村淳の頭の回転の速さと人を楽しい事へ巻き込む類稀なる才能、ニヒルに笑いながら切れ味鋭い言葉を放つ有吉弘行、水着ギャルにガラケーを笑われながらもチームの仲間に嬉しい報告を知らせるケンドーコバヤシ、アンガールズ田中が巻き起こすサスペンス映画さながらの事件、バイきんぐ西村が歌う尾崎豊などとにかく見所だらけの豪華絢爛な番組だった。
観ている間ずっと面白くて、久しぶりにテレビ番組をワクワクしながら観た。
番組の終盤「もうすぐこのレースも終わるんだ」と思うと正直切なくなってしまった。
夜の道路、芸人たちを乗せた車が駆け抜けていく。
夜の道路を走る車の車内、なんだろう、あの切ない雰囲気は。
昔、高校を卒業して働き始めたばかりの頃、友達何人か、男だけで夜中にカラオケをして「なか卯」でうどんを食べて、くだらない話をしながらあてもなくドライブをしたあの日の事を思い出す。
「誰か女子に電話してみよう」と言ってドキドキしながら電話したり、そんなノリが新鮮だった。
友達が運転する車の助手席から見える、夜の街並みがいつもよりも澄んだような
感じがした。
「こんな楽しい夜なら終わってほしくないな」という切ない気持ちを滲ませながら車窓を眺めていると、時は無情にも夜を朝へと変化させていく。
「ハローもグッバイもサンキューも言えなくなって こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく」
岸田繁の爽やかな歌声、夏になると聴きたくなる一曲だ。
切なさ、面白さ、様々な感情が駆け巡る「芸人キャノンボール2016 in summer」はドキュメントとバラエティーの壁を軽々と飛び越えた。
この夏に退屈している視聴者にぶつけられた「芸人キャノンボール」というたくさんのボールは、きっと「面白い」や「笑い」に飢えたモンスターたちを大量にゲットしただろう。
真剣にふざける、真剣に面白いことに取り組む、そんなお笑い芸人たちのカッコ良さがこの番組には詰まっている。
藤井健太郎さんの著書『悪意とこだわりの演出術』を読んだ。
中学生の頃、期末テストが憂鬱だった。
期末テストはもちろん嫌なのだけれど、他に何が嫌かって、期末テストが近くなると、放課後残ってテスト勉強していかなければならないのだ、あれが嫌だった。
もちろん居残り勉強は強制ではないのだけれど、クラスの大半が残って勉強しているのにそそくさと帰るのは気まずい。だからと言って勉強するのも気がのらない。
「帰りの会」が終わっても1時間くらいは残って勉強していかなければならないという暗黙の了解が、けだるい空気が漂う放課後の教室の中にゆっくりと沈殿していった。
しばらく時間が経つと、勉強に飽きてくる友達がちらほらと出現し始める。
そしてお互いに問題集を見ながら問題の出し合いが始まる。
最初は普通に問題に答えていたが、徐々にふざけた答えを言うようになり、後半は完全に「笑わせたやつが勝ち」という空気になる。
参加者も3人くらいから5人くらいに増え、賑やかになっていく。
思い切って俺もその「テスト勉強大喜利」に加わった。
俺の一言でみんなが笑う、もちろん笑わないこともある、その一喜一憂が楽しかった。
唯一覚えている自分の解答は、多分社会の問題だったと思う「民家すれすれを飛ぶ◯◯」の空欄を埋める問題。
問題文の隣には戦闘機の写真が載っていて「民家すれすれを飛ぶ梨花」と答えた。
世代的にロンハーなどで梨花がブレイクしていた頃だったから出てきた答えなんだろう、問題の内容が内容だけにちょっと不謹慎かもしれないが中学生だったしまぁそこは許してほしい、悪意はない。
ちなみにこの答えは、周りの友達に「言うと思った」と言われた記憶がある。
「つまんない」よりも「言うと思った」の方が受けるダメージはちょっと大きいと思う。
めちゃイケ、笑いの金メダル、エンタの神様、ロンハー、内P、深夜のはねトび、堂本剛の正直しんどいetc、中学という多感な時期にブラウン管の向こう側、面白いテレビ番組が冴えない青春時代を笑いで彩ってくれた。
時は流れて、高校生になり、そして今現在は社会人として働いている。
テレビ番組の移り変わりはあれど、「昔に比べて何曜日が楽しみ!という感覚は薄らいだな」と感じることはあれど、テレビ番組を見ていたし、ふとした瞬間に笑ったしまうのはテレビのバラエティ番組がキッカケである事が多い。
地獄の底から芸能界の頂へ、奇跡的な生還を遂げた有吉弘行をテレビで見ない日は無い。歯に衣着せぬ本音トーク、本質を見抜いたような毒舌、ニヒルな笑みを浮かべた有吉弘行は、ともすれば悪役のように映りがちだが映らない、まるで映画「ダーク・ナイト」のジョーカーのように憎めない。狂気とユーモアを、その瞳に宿らせていた。
もしも
「テレビ番組で一番面白かった有吉弘行
はどの有吉弘行ですか?」と聞かれたら、答えはもう決まっている。
「クイズ☆タレント名鑑」の人気コーナー「芸能人検索ワードクイズ」での有吉弘行だ。「やっつけ仕事」「虚言症」「修羅場」といういかにもなワードが並び散々ふざけた解答や際どい解答を連発し、「本能」というワードが出た瞬間に「はい、椎名林檎さん」とサラリと正解したあの瞬間の有吉弘行だ。
番組名だけ見れば一体どんな番組なのかはわからない、水曜日に放送されるダウンタウンの番組であることぐらいしかわからない。
記号的でありながらどこか不穏な雰囲気のする名前のこのテレビ番組は2014年に突如として出現した。
正直、熱心な視聴者では無く、時々番組を見る程度なのだが、忘れられない回がある。
視聴者から寄せられた様々な「説」を検証しプレゼンしていくこの番組、中でも印象的なのが「SADSの忘却の空サビを一発で聞き取れる人0人説」である。
もう最高だと思った。サビの聞き取りにくい曲としてSADSの「忘却の空」をチョイスするそのセンスに打ちのめされた。小学生の頃にドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の再放送を見て衝撃を受け、高校生の頃は一時期この曲を着信音にし、大人になってからDVDで全話見たくらいに「池袋ウエストゲートパーク」好きな俺としてはたまらない説だった。
スタジオ内に「忘却の空」が流れ「すべて聞き取れたという方、いらっしゃったら手を挙げてください」と言った小籔千豊へ「そんなこともわかって、僕の声は聞こえてるか? って言うてんの?」とサビの最後の部分にかけて返す松本人志、「空の下」という単語をホワイトボードへ書く時に「いやこれ清春さんやったら宇宙って書く」と言って「空」の字の上に「宇宙」と書くたむらけんじ、「サラダを買うなら」と聞き取った浜田雅功、もう何もかもが面白くて、テレビの前でゲラゲラ笑った。
「逆ドッキリ逆逆逆くらいまでいくと疑心暗鬼になる説」「ホラー映画 製作者の都合でガチガチ説」「箱の中身は何だろうな? クイズ王ならマジで当てられる説」など他にも印象的な説はあったが、個人的にはやはり「忘却の空」の説が一番印象的だし、面白い。
SADSの「忘却の空」を面白がる、その着眼点が新鮮だった。
「クイズ☆スタータレント名鑑」「水曜日のダウンタウン」この二つの番組を手がけた人物こそが「藤井健太郎」である。
こんなにも面白く刺激的な笑いを作るこの人って、一体どんな人物なんだろうと
藤井健太郎の頭の中と人生が気になっていたタイミングで『悪意とこだわりの演出術』という藤井健太郎の著書が発売された。ナイスタイミングである。本屋の店頭、クリープハイプの尾崎世界観の小説の隣に並んでいた。尾崎の世界観よりも藤井の世界観の方が気になった俺は、急いで『悪意とこだわりの演出術』を購入した。
あまりの面白さに一気に読破してしまった。藤井健太郎の「面白い」の価値観な組み立て方、サンプリングの手法をテレビ番組へ用いるその巧みさ、全てが衝撃的だった。
「第3章 テレビマンの青春」も自伝的で藤井健太郎のパーソナルな部分が垣間見れたような気がして読んでいて楽しかった。
「クイズ☆アナタの記憶」でのオードリー春日へのクイズ、青春時代をあんなにも面白くクイズに出来るのかとその発想力に驚愕した。そしてめちゃめちゃ笑ったことを思いだした。「としあきパイとしあき」というロンブー淳さんの声が脳内でリフレインしている感覚。
水曜日のTVヒーローが仕掛ける新感覚の「笑い」にこれからも期待したい。
SADSの「忘却の空」のサビ、俺は「でたらめのチャイム鳴るかわしてる」だとずっと思っていたけど実際は違った。