僕ハリガネロックが好きだ、中途半端な気持ちじゃなくて。ユウキロックの『芸人迷子』を読んだ。
高校を卒業し、社会人として働き始めたばかりの頃は、同じ高校を卒業し大学生になったばかりの友達とよく遊んでいた。
電車に乗り、その友達が住む町へと向かう。電車の中ではミッシェルガンエレファントの「バードメン」をよく聴いていたので、今でもあの曲を聴くと仙台市から泉市へ向かう電車の景色がふと頭に過る。
一人暮らしをしている友達の家で、くだらない話をして笑ったりするのが、とてつもなく楽しかった。
知らない町に1人で向かい、友達と自由気ままに出かけたり夜まで喋ったりする。
友達の友達も呼び、何人かで集まって宅飲みをしたりUNOをしたりした、誰かが持ってきたであろう知らない学校の卒業アルバムを見ながら可愛い女子を探したりした、終わらないでほしいくらいに幸せな夜がそこにあった。
友達と別れた帰り道、駅まで歩いている途中で寄ったお店であるDVDを見つけた。
「あ!ハリガネロックだ」
ワールドカップやWBCが放送された翌日「昨日の日本の試合は白熱した」「あの選手のシュートが良かった」と盛り上がるように「スーパーマラドーナの漫才の構成が上手かった、ラストで予想外のオチがくるのはいい」と話したかったが残念ながら今年のM-1はリアルタイムで見る事が出来なかった。
仕事終わりにふと見たTwitterで結果を知った。
正直優勝者よりも敗者復活戦でもっと面白い漫才師がいたのにという気持ちが強かった。Aマッソの漫才が決勝の舞台で見たかった。「エル・カブキ、金属バット、ランジャタイがどうして決勝行かないんだ」と思った。
幼い頃からサッカーや野球に興味が無い俺が、こんなにも大会の結果に熱くなるのは「お笑い」だけである。
一番最初のM-1グランプリが放送されたのは2001年。
当時は小学校高学年だった俺は放送をリアルタイムで見ていた記憶がある。
番組冒頭からとんでもない熱量が画面越しに伝わってきた。
お笑いや漫才を熱心に見てきてない俺にすら「すごい大会が始まる」というのがわかった。
第一回目の決勝進出メンバーを見てみれば中川家、フットボールアワー、キングコング、チュートリアル、おぎやはぎと現在ではTVで大活躍中の人気コンビが勢ぞろいしている。今思えばフットボールアワー後藤は代名詞ともいえる「高低差ありすぎて耳キーンてなるわ」などの例えツッコミをしていないし、キングコング西野は絵本を描いたりしていない、チュートリアル徳井の妄想っぷりは影を潜めていたし、おぎやはぎは今ほど知名度の高い感じでは無かった気がする。
お笑いブーム前夜の雰囲気の中、TVのゴールデンタイムで全国区の番組でネタを披露出来る、夢のような大会がそこにはあった。
「疲れてる場合ちゃうぞ!」
黒い革ジャン、胸にはドクロマーク、ウォレットチェーン。
漫才師とは思えぬパンクな出で立ちの男は漫才の始めに客席に向かってそう言い放った。生放送の長丁場、最後に出てきた漫才師がハリガネロックだった。
淀みないユウキロックの喋りのスピードと面白さに圧倒された。
切れ味鋭いその漫才はまさにロックだった。ロックを聴く前にハリガネロックの漫才でロックを知ってしまった。
2004年、お笑い史における何度目かの「お笑いブーム」が直撃した時、俺は中学生だった。
ネタ番組をビデオに録画したりと中学生という多感な時期に「お笑い」にすっかり魅了されていた。
そんな2004年のM-1グランプリが強烈だった。
あの年以降、M-1グランプリを熱心に見るようになりさらに「お笑い好き」の気持ちを高ぶらせていった。
漫才師のあのシルエットのカッコ良さは何なんだろうか、センターマイクの前に立つ漫才師のあの佇まいに憧れた。
舞台に立ち、喋り、爆笑を掻っさらう。
とにかくカッコ良かった。
不平不満や本音を言うのが苦手な俺が、キレキレの口調で世間の風潮や道行くカップルにまで漫才中に「ボヤキ」を炸裂させるユウキロックのストレートな芯の強さに憧れたのかもしれない。
人生で一度だけ、漫才をしたことがある。
社会人として働き始めたばかりの頃、夜に友達何人かでカラオケに行った事があった。その時に「一発ギャグ大会をしよう」というようなノリになったのだ。
「一発ギャグ大会」と言うのに「ピストルのおもちゃが入ったおもちゃ会社の営業マンの持つカバンと本物のピストルが入った殺し屋のカバンが入れ替わる」という一人ショートコントを演じた俺がキンキンにスベッた事はさておき、その場のノリで友達と漫才をすることになった。
憧れの漫才が出来る。
テンションが上昇した。
真夜中のカラオケボックス、見えないセンターマイクに向かって俺は喋りまくった。
「真夏にプールにいったらブサイクばかりでね」と柄にもなく毒舌をぼやいたのは、きっと俺の「笑いの血」にハリガネロックの漫才が脈々と流れているからかもしれない。
漫才をした。
嬉しくて仕方がなかった。
あの日俺は一瞬だけ「ユウキロック」に「漫才師」になれた気がした。
「嘘だろ」と思わず呟いてしまった。
大好きで憧れに憧れた漫才師が解散した。
「芸人迷子」というタイトルのその連載には漫才師だったユウキロックが全身全霊を注ぎ、赤裸々に、裸どころか体内の血管や骨すらもさらけ出すぐらいの勢いで漫才師としての生き様と終わりがそこに書き連ねてあった。
伝説になった2005年のM-1グランプリのブラックマヨネーズの漫才の衝撃、漫才とは何か漫才師とは何かお笑いコンビとは何か、その問いに血眼になりながら冷静に答えていくユウキロックの姿を想像してしまった。
連載が開始した頃からずっと「書籍化してほしいな」と願っていた。
2016年に願いは叶った。
ユウキロックの「芸人迷子」が書籍化された。
嬉しくて仕方なかった。
「芸人迷子」を読んだ。
ページをめくる度にユウキロックの告白はより濃さを増し白熱していく。
漫才師としての生き様が深く深く刻まれていく。
最後の方に綴られていた千原ジュニアとのエピソードには特に胸を貫かれた。
その章に書いてある「ジュニアさんの一言一言が今でも俺の指針になっている。」という一文に激しく頷いた。
久々にミッシェルガンエレファントの「バードメン」が聴きたくなった。
「イナズマを呼んできてほしいと言え」とチバユウスケは歌う。がなる。
チバのがなり、ユウキロックのぼやき、絶望も暗闇も全部切り裂いてくれるのはロックとお笑いだと俺は思う。
ロロ いつ高シリーズ「いつだって窓際であたしたち」「校舎、ナイトクルージング」を観た。
「ロロ」の作品「いつだって窓際であたしたち」と「校舎、ナイトクルージング」がYouTubeにて期間限定で公開中らしく、前々から気になっていた作品なのでワクワクしながら観た。
「ロロが高校生に捧げる新シリーズ」と銘打たれてある様に高校演劇のフォーマットで繰り広げられる本作は高校が舞台の青春劇である。
映画でも音楽でも物語でも、青春がテーマになっている作品が特に好きな俺なのだがこのロロの演劇「いつだって窓際であたしたち」と「校舎、ナイトクルージング」は生涯ベスト級に好きな作品なのかもしれない。
「いつだって窓際であたしたち」の舞台は昼休みの教室が舞台。
カーテンに包まり噂話を始める女子二人組。自分の席で弁当を食べようとした男子、通称「シューマイ」が席から離れた瞬間に、教室に来た謎の黒髪の女子生徒が席に座ってしまう。
居場所が無くなってしまった「シューマイ」は困惑しながらも自分の席の後ろの席に座る事にした。
席の机の上にはヘアワックスが置いてある。「ナカノの4番」である、青いケースの。個人的な意見だが高校生の頃はカッコいい男子やオシャレな男子はほとんどの奴がこの「ナカノの4番」を使っていた記憶がある。
噂話をしていた二人組が「旅先から海荷が帰ってこない」とある女子生徒の事を話し始める。そして教室にやってきた謎の黒髪の女子を発見し今度は「いつも窓の外を眺めている自殺未遂の女の子らしい」とウソか本当かわからない噂話を始める。
教室に男子生徒が入ってくる。
シューマイの後ろの席の「将門」である。将門は少年ジャンプを手に取り「全然再開しないよね、冨樫」とシューマイに話す。
噂話をしていた女の子とも、将門はくだけた口調で話し「スカート短くない?」と嫌味なく笑う。
登場した瞬間から存在感を放っている将門に1人の女子生徒が写真を渡しにくる。「6組って入りづらいんだよね」とぼやく彼女こそが将門の幼なじみ「朝」である。
受け取った写真を見た将門と朝が「ここじゃん教室!」「これ将門の席」と何やら騒ぎ始める。
将門「学校の怪談見た事ある?」
朝「アニメ?」
将門「もあったけど映画映画」
朝「アニメあったよね」
将門「あったあった、パンチラシーンすげぇあった!」
このさりげない将門と朝の会話のやり取りがすごく好きだった。
写真をどこから撮ったのか確かめ始めた将門は、校庭を走る1人の男子生徒に気付く。
走っている生徒とは、よく一緒のバスで前後の席になる将門は、いつも彼が読む漫画を後ろの席から盗み読んでいるのだが、自分が読むタイミングと男子生徒がページをめくるタイミングが同じだと話す。
「聞いてくるわ、名前!」と言って教室を飛び出す将門。そこで「今日いいの?楽と肝試し」と朝が問いかける。これが「校舎、ナイトクルージング」へとも繋がってくる。
「男子生徒の名前は太郎」
「海荷と太郎が付き合っていたが一カ月前に別れた」
「別れてから海荷は旅に出て、太郎は走り始めた」
噂話をする二人組と朝のさりげない会話から発覚していく出来事、物語が動き出す感覚が心地良い。
教室には黒髪の女子生徒、朝、シューマイの三人。ここで朝と、教室の窓から校庭を見ていた黒髪の女子生徒が会話する。
黒髪の女子生徒の名前は白子、白子が机に置いているジオラマについて朝が尋ねると「机の上にギュッて、世界敷き詰めてる」と答える。
その後に白子と朝による英語の授業にも似たやり取りがあるのだがそれがすごく面白かった。白子の「キーックキーックほろびろ!」というセリフが特に。
校庭に向かって「ウソだ!さよならなんてウソだ!」と叫ぶ白子。
太郎が走っている事と白子が校庭の太郎を見ている理由がわかり、物語はクライマックスへと疾走していく。
昼休みが終わりに近付くにつれ、物語は終わりに向かっていく。噂話をしていた二人組も、将門も。
シューマイが、風で飛ばされてしまった写真を取りに行き、教室に戻るともう白子もいないし教室にはシューマイ1人だった。
自分の席に座り音楽を聴き始めるシューマイ。聴いているサニーデイ・サービスの「真っ赤な太陽」を歌い始めるシューマイ、教室にやってきた将門も加わり2人で「真っ赤な太陽」を歌う。
そして昼休みが終わり、2人は教室を去る。
爽やかな風が吹き抜けていくようなクライマックスに圧倒された。
「校舎、ナイトクルージング」も舞台は学校の教室だが、夜の学校の教室が舞台となる。
「いつだって窓際であたしたち」でも登場した「肝試し」と「心霊写真」がキーワードとなる。楽、朝、将門が幽霊の正体を確かめるために夜の校舎へ忍び込む。そこにいたのは幽霊、とフードを被った謎の女子生徒......深夜ラジオが好きな人にはぜひ「校舎、ナイトクルージング」を観てほしい。確実にグッとくると思う。
「もう一時じゃん!オールナイトニッポン」と深夜ラジオの録画を忘れた事を悔しがる将門を見てあるキャラクターがポツリとこう言う「JUNK」深夜ラジオ好きならば「JUNK派!?」となるシーンなのである。
醸し出す雰囲気が将門はオールナイトニッポンを聴いていてあるキャラクターはJUNK派というのも、どことなく納得出来る。
深夜ラジオ、夜の学校。
ワクワクする組み合わせである。
昼休みの教室と夜中の教室が重なるような不思議な世界観に魅了された「校舎、ナイトクルージング」とにかくこの物語も良かった。
ロロのいつ高シリーズが描き出す「青春」がすごく好きだ。
夜の学校といえば、小学生の頃に「夜の体育館でホタルを見る」という学校行事があって、夜の学校の雰囲気にワクワクした記憶がある。誰もいない校庭で友達何人かと喋ったあの夜、なんだか物語的だった。
Seventh Heaven
久々にブログ更新。
気が付けばもう10月も終わってしまった。
ハロウィンの熱狂っぷりを伝えるニュースを見ると「あぁもう10月も終わるんだな」と実感してしまう。
ハロウィンの熱狂っぷりについては、あれはやはり「東京」の「渋谷」という場所だからこそ生まれるものなんだと思う。東京という都会の中心だからこそ渦巻く熱狂というか。
人が大勢いるあの場所だからこそ起こりうる熱狂なんだろうなと思う。
昔、渋谷に行った事があるけれど頭に紙袋を被った三人組が路上ライブをしていた、ハロウィンではないのに。
あの三人組は今でも路上ライブをしているのだろうか、謎だ。
「自分の人生で大切な10曲」を選び対談するこの番組。
「くるり」の代表曲「東京」に関するエピソードを聞いたら久々に「東京」を聴きたくなった。
又吉直樹といえば小説『火花』は言わずもがな最高傑作なのだが、かつて「ラフブロ」で公開していたブログもすごく面白くて何度も読み返していた。
最近よく聴いてる曲は「Seventh Heaven」L'Arc-en-Cielのこの曲をPOLYSICSがカバーしたバージョンがあるのだがこのカバーが最高で最近は何回も聴いてる。
先日、高校生の頃からの友達と久々にカラオケに行った時にL'Arc-en-Cielの「Seventh Heaven」を歌ってしまうくらいにハマってしまった。
俺は西野亮廣のファンである。
かつて「ラフブロ」で公開されていたブログ「西野公論」を読み耽っていたし、何年も前になるが「KING KONG LIVE」を観に行った際、ライブの後に西野亮廣の小説『グッド・コマーシャル』にサインをして頂いた事もある。
「西野亮廣独演会」のDVDはもう何度見た事だろうか。
そんな大ファンの俺もめちゃめちゃ笑ってしまうくらいに神回だった。
ウォークマンをシャッフルモードにして音楽を聴きつつ、ブログを更新した。
聴いた音楽はこちら。
「Seventh Heaven」
「オー・シャンゼリゼ」
奇妙礼太郎トラベルスイング楽団
「Sweet & Sweet」
「賛歌」
爆弾ジョニー
「Undone(The Sweater Song)」
「Good-Bye Myself」
「LIFE IS ONE TIME」
TKda黒ぶち
「朝の歌」
「ハライチのターン!」相方のノリボケに「名前をつけてやる」ようなハライチ岩井勇気の底知れぬトーク力と面白さ。
TBSラジオで、この秋からアルコ&ピース、うしろシティ、ハライチのお笑い芸人三組がそれぞれ新しいラジオ番組を始める。
深夜ラジオが大好きな俺にとっては衝撃的なニュースだった。
ハライチ単独のラジオ番組が始まる。
密かに「ハライチ単独でラジオ番組始まらないかな」と思っていたので「アルコ&ピース D.C.GARAGE」「うしろシティ 星のギガボディ」も楽しみだったが一番楽しみだったのは「ハライチのターン!」だった。
雑誌『新 お笑いラジオの時間』ラジオで活きる「じゃない方芸人」大特集!と銘打たれたこの一冊にハライチの岩井勇気のインタビューが載っている。
「ハライチ面白いよね」というと多分、数多大勢の人たちがバラエティ番組での活躍も目立つ「澤部」の方を思い浮かべるだろう、もちろん「澤部」も面白い、面白いのだけど相方「岩井勇気」も面白いのだ。
『新 お笑いラジオの時間』は何度も読み返しているのだが、個人的に一番読み返している記事は間違いなく岩井勇気のインタビューだ。
インタビューで岩井は、中学生ぐらいの頃から深夜ラジオを聴いていた相方とは対照的にほとんど深夜ラジオを聴いてこなかったと話している。
そんな深夜ラジオを聴かずに過ごし深夜ラジオの影響下にいない岩井が、深夜ラジオで話すエピソードトークは独特でどれも面白い。
「ハチミツを買いに行く」「たまごっち」「カーナビ」岩井独自の感性とフィルターを通した瞬間に面白さが倍増する。
予測不能の展開が待っていたりする不意打ちのような独特なフォームのエピソードトークの数々に俺は何度も笑ってしまった。
俺もスピッツの曲が大好きなのですごく嬉しい。
「ハライチのターン!」内でリスナーからのメールで「影響を受けたお笑い芸人は誰ですか?」という質問が来てノリノリで答えようとする澤部を止めようとしたり、影響を受けたお笑い芸人を答えようとせず口ごもり澤部から「ダメだこいつマジで」と苦笑い気味の口調で言われてしまう、深夜ラジオのレールにノリたがらない『放浪カモメはどこまでも』自由だ。
ハライチのラジオと出会った奇跡がこの胸にあふれてる 深夜ラジオ特有のノリを岩井が拒んでもずっとそばで笑っていてほしい。
「好きな芸人言え!」
「言わねぇよバカ!」
面白すぎる二人のトークが『夜を駆ける』
スピッツの『運命の人』の歌い出し バスの揺れ方で人生の意味が解った日曜日、人生の意味は解らないけど、バスの揺れ方ではなく二人の話し方で退屈な夜はずっと面白くなる事が解った木曜日。
毎週木曜「ハライチのターン」が楽しみな日々だ。
映画「何者」を観た。俺ら、何者にもなれないってよ。
「俺が朝井リョウの小説『何者』を読んだのはいつだっただろうか」そう思い、mixiの日記に書いていたはずなので見てみた。
日記によれば、朝井リョウの小説『何者』を読んだのは2012年の12月10日らしい。
物語の面白さとスリルに打ちのめされて一気に最後まで読んだ事を覚えている。
数年前の自分の日記やつぶやきを読み返したらコメント欄に「退会したユーザー」の文字が並ぶ、まるでもう誰もいなくなった惑星に一人不時着したような孤独感すら感じる。
ある日の日記のタイトルが「さっき塩タンタン麺と入力しようと思ったら、間違えて塩タイタン麺になっていて焦ったのは内緒だよ。」で我ながら「くだらねー」と苦笑いしてしまった。
ちなみに遡って読んでみると、その日記を書いた何日か前に朝井リョウの小説『もう一度生まれる』を読んでいた事がわかった。
あの頃の俺に言ったらどんなリアクションするだろうか「レンタルビデオ屋さんに迷い込んできた野良犬がマドンナのMVをジッと見ていたのを目撃したことがある」だなんて事をmixiの日記に書いていた俺に。
もっとmixiを遡れば、もしかしたら『人間失格 三浦大輔戯曲集』を読んだ事が書いてあるかもしれないと思ったけれど、5、6年前の自分の日記を読み返し続ける作業は疲れるし気恥ずかしさもある、それに古傷をえぐるような内容と正面衝突したり、堰を切ったように懐かしさがあふれそうになりそうなのでやめておいた。
人気女優俳優の勢揃いの顔ぶれを見て「就活をする大学生の青春譚」とだけ思い「甘酸っぱい恋愛があるのかなー?佐藤健イケメン、有村架純可愛い!」なんてほんわか思っている少年少女たちに夢を一切見せない容赦なきシビアな世界。青春時代真っ只中を抜け「そろそろ進路を考えた方がよくね?」と思っている若者たちが見たらなかなかに心に刺さるものがあると思う。
の終わりの前夜祭のような賑やかさとは裏腹に就職のシビアな現実も描かれていく。
物語の主人公は全員大学生、高校卒業してすぐに働き始めたので大学には行っていない俺ですら高校中の就職活動の気まずさを思い出してしまう程だった。
履歴書を書く度に武器の少ない己のステータスを目の当たりにしているようで苦しかった事、電車に揺られ見ず知らずの町に行き就職試験を受けに行くのはすごく不安だった事、「働く」と決心した俺宛に送られてくる専門学校のパンフレットを「働くと決めたのに送ってくんなよ、学校」と不条理な怒りが込み上げた事。
そんな高校生の頃にTwitterをやっていたらどうなっていただろうか。
映画でも原作小説でも「何者」の物語においてTwitterは重要なツールとなっている。
こんなタイトルをつけてしまうのだから「何者」に登場する「烏丸ギンジ」の存在は直視するのがちょっとキツかった。「激団 毒とビスケット」を主催し演劇の世界で活動している人物だ。
劇団ではなく「激団」と称している辺りがなんか、もう、なのである。
菅田将暉演じる「神谷光太郎」がボーカルギターのバンド「OVERMUSIC」このバンド名もなかなか、こう、ニヤニヤしてしまうものがある。
解散後、明るかった髪色を黒に染め就活すると拓人に話す光太郎。
映画「何者」の物語は就活を軸に動き出し、瑞月の友達二階堂ふみ演じる理香と意気投合し四人は就活へと打ち込んでいく。
そんな四人へ「就活はしない」と話す、理香と同棲中の岡田将生演じる隆良、このキャラクターが絶妙だった。
自転車、飲んでるビール、クラッチバッグ、丸メガネ、本、服!「こういう人、いる!」感がたまらない。オシャレ極めまくりのあの感じ。クリエイター系男子隆良と拓人のバイト先の先輩である、山田孝之演じるサワ先輩が物語に絶妙なスパイスをふりまく。
そしてかつては二宮拓人と演劇活動をしていた烏丸ギンジも物語のキーパーソンとなっていく。
就職先が決まらず苦悩する拓人、一方の烏丸ギンジは演劇活動を続けている。
自分が熱中したもの好きなものを糧に表現者として生きるギンジ、誰もが青春時代に憧れてしまうシチュエーションである。
この「Twitterというツールを物語に落とし込む感じ」が心地良かった。
それぞれの登場人物のTwitterの作り込み具合、そしてTwitterの頻度もいい、拓人は常にスマホを気にしているが光太郎や瑞月はあまりそういう描写がない。拓人が光太郎と瑞月へ、隆良と理香のツイートを見せ「何で直接話さないんだろうね」というようなセリフをしゃべるシーンがあるのだが、あのセリフ後の光太郎と瑞月の気まずい沈黙、なんだろうかあのリアルな感じは。
劇中で拓人の吐くタバコの煙のように、まとわりつく全てを煙に巻いて呼吸し続けることは実は息苦しい、天真爛漫な光太郎と純粋無垢な瑞月の存在が冷静に分析する事で自分を守っているつもりの拓人にはきっと眩しく感じるのではないかと思う。
何気ない爽やかな青春群像劇と思いきや、自意識や人間の妬みや嫉み、痛みが混じり合う苦い青春。
巷に流行する甘酸っぱく胸きゅんな恋愛青春映画に「リアルと思い通りにならない絶望」という鉄槌を振り下ろすかのような作品である。
意識高い系と揶揄され就活活動に打ち込む理香、ネットで辛口評価を受けながらも演劇を続ける烏丸ギンジ、内定を得た光太郎と瑞月、誰の生き方もきっと大変なのだ。現実はドラマチックにはいかない。
映画「何者」は、後半あるシーンを境に物語が豹変する。まるで物語のベールが取られ、三浦大輔演劇のメソッドが脈々と流れる物語の心臓を見せられたかのようなハッとする瞬間だった。
青春時代の終わらせ方をわからない拓人の孤独が胸に残る。
きっとこんなブログも「映画 何者 拓人」でエゴサーチした拓人から暗い部屋で読まれて冷笑されるのだろう。
入れ替わるのは映画「君の名は。」だけじゃなかった「イタい」と「笑い」が入れ替わるコント師 うしろシティ。「うしろシティ 星のギガボディ」を聴いた。
「先生、じゃあ今度はベルベット・アンダーグラウンド流して下さいよ」
中学生の頃、英語の授業の時に先生がビートルズの曲を流してくれる事があった。
ある日の授業中、いつものようにビートルズの曲を流し終えた先生へ向って俺が言った言葉がそれだった。
ベルベット・アンダーグラウンドなんて名前しか知らないくせに、背伸びしたかったのだろう。
先生は少し苦笑いしながら「CDはどこかな?」と言ってくれた。
俺はCDは持っていなかった、ベルベット・アンダーグラウンドは流れずに英語の授業は終わった。
こんな思春期特有の「イタい」や「ダサい」が持つ独特で歪な「笑い」をコントに落とし込んでるコンビがいた。
阿諏訪と金子の2人によるお笑い芸人「うしろシティ」である。
学生に扮した2人が次の文化祭でバンドをやろうと計画する。金子は「いいよ!」と軽く承諾するも阿諏訪が考えてるバンド名や曲名の独特な発想に顔色が変わるコントや、バンド系で言うと記憶喪失になった金子に同じバンドの阿諏訪が「何も覚えてないのか!?」とバンドの名前やコンセプトを説明するという金子の「世界観強ぇな!」のツッコミが炸裂するコントも忘れ難い。
かつての「キングオブコント」決勝でも披露された、いかにも上京しそうな阿諏訪を金子が「阿諏訪くんみたいな人、いっぱいいるけど大丈夫!?」と不安そうに引き止めるコント、上京に憧れすぎてこじらせてる阿諏訪の若者描写が巧みですごく面白かった。
うしろシティのコントのセンスがすごく好きだ。
ある種古典的な「ぶつかった二人が入れ替わる」というテーマもうしろシティの二人にかかればスタイリッシュに豹変する。
バイト先に急いでいた金子は入れ替わった阿諏訪にバイトへ行ってくれるように頼む「あそこのローソンなんで」「無理ですよ僕も今からあそこのセブンイレブンでバイトが」と言って焦っていた二人は「大丈夫そうですね」と落ち着く。
入れ替わっても意外に大丈夫だというこのコントがとにかく面白かった。
その後のお互いの彼女のくだりやスマホを巡るやりとり、オチの切れ味も全部好きでこのコントをキッカケにうしろシティのコントにハマりDVD「町のコント屋さん」「アメリカンショートヘア」「うれしい人間」を観てさらにハマっていった。
ラジオ「うしろシティのオールナイトニッポンR」をドキドキワクワクしながら聴いた。
ラジオ中に海外のバンド「コールドプレイ」の曲を流した阿諏訪はコールドプレイを知らないと話す金子に「コールドプレイ知らないの!?」と驚きを隠せなかったあのやりとりが印象的だった。
一時期この番組にどハマりした俺は過去放送を聴き漁っていた。
ある日遠出するために車で出かけた時があったのだがほぼずっと「デブッタンテ」の過去放送ばかり聴いて運転していたのが懐かしく思える。
特にうしろシティの阿諏訪のフリートークと流す曲のセンスが強烈に好きでそこに惹かれていった。
そして阿諏訪によるポエムの朗読から始まった。
「大地は雨を手に入れて海を作った
レンブラントは筆を手に入れて
カンバスを染めた
ボブディランはギターを手に入れて
音を紡いだ
岡本太郎は爆発して
ジョンレノンは平和をせがんだ
僕らは一体何を手に入れた?
何を手に入れる?
そんな過去と自分と未来を照らす
みんなの心 ギガボディ
人間誰しもが持つギガボディの部分
それは時代を越えて
流動的に繰り返されるエレメント
そんな当たり前の事を考えながら
町を背に僕は行く
さぁ みんな 始めよう
今日もこりずに
夜がやってきたようだ」
ひっくり返りそうになる程、衝撃的なオープニングだった。
「何やってんだよ」と驚く金子、その後もポエムについて話す阿諏訪にツッコミをいれていく金子の発言にニヤニヤしてしまった。
第二回放送のネタコーナーで出てきた「バルログ」という単語からストリートファイターの話へ。バルログを好きで使っていたという阿諏訪、阿諏訪が当時聴いていたストリートファイターのCDの話で盛り上がる。
こういう懐かしさのあるエピソードトークが俺は本当に好きだ。
アルコ&ピースのANNが全然全部無くなってチリヂリになったってもう迷わない1から喋り始めるさむしろTBSからラジオを始めてみようか「アルコ&ピース D.C.GARAGE」の初回放送を聴いた。
あの頃俺は「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」の過去放送を聴く事が生きがいだった。
アルコ&ピースというコンビは「レッドカーペット」や「レッドシアター」などのネタ番組で何度か見た事があった。
バイトの面接を行う若者と店長の立場が入れ替わる「逆面接」などコントの設定が面白くて好きだった。
テレビで見た事があるのはネタのみ、つまりコントの世界のアルコ&ピースしか知らなかった。
だが「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」を聴いて驚愕する、コント以上に二人のラジオは面白かった。
「ナインティナインのオールナイトニッ本」の付録CDを聴いて深夜ラジオの面白さに打ちのめされた俺は、気になった深夜ラジオの過去放送を聴き漁りまくった。
そこで出会ったのが「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」なのである。
エリッククラプトンとローリングストーンズという大御所の海外ミュージシャンが来日中という事にちなみ、アルコ&ピースの二人がクラプトン派、ストーンズ派に分かれて対決するという回があった。両ミュージシャンに強い思い入れが無い二人だったので煮えきらない空気だったが、「クラプトン派」「ストーンズ派」のそれぞれのメールを読んでいき、負けた方は自分のミニ四駆のパーツを一つずつ没収されるというルールが追加されたことにより、ミニ四駆にハマりだしていたアルコ&ピースの二人は一気にヒートアップする、ミニ四駆のパーツをかけた勝負に一喜一憂する二人、とにかくこの放送がめちゃめちゃ面白くてこの回をキッカケに一気にアルコ&ピースのラジオにのめり込んだ。
それまでの印象はコントのキャラクターを演じる「アルコ&ピース」だったのだが、ラジオを聴いているとコントのキャラクターではなくコント師「アルコ&ピース」としての「平子」と「酒井」の人間味がわかってきてそれもまた面白かった。平子のフラッシュモブについてのエピソードトークはめちゃめちゃ面白かったし、平子に対して冷静にツッコミを入れる酒井も面白かった。
2014年のとある放送日が「世界海賊口調日」という事で「退屈な日常から抜け出したい奴らが自由を求めて番組という名の船に乗り、放送という名の大海原を電波に揺られて旅をする」と海賊とラジオも一緒だと吠える平子、オープニングから神回の予感が漂うこの回は「全国にいるすごいラジオDJ」をリスナーから募集。インパクトのあるラジオDJの紹介が相次ぎ震え上がる二人のテンションに笑いを堪えきれなかった。
クリスマスが近づいてきている12月、スペシャルウィークも終わり、今回はゆるやかなラジオにしようと「最高のクリスマスプレゼント」と題してラジオを始めようとする平子、だが一筋縄ではいかないのがアルコ&ピースのラジオなのである。
平子の息子「イチルくん」がスタジオにいない!と気付いた酒井は「いつもスタジオに連れてきてるみたいになるから」と言う平子の言葉に耳を貸さずどんどん間違った推理を進めていき「イチルくんが家にひとりぼっちじゃないか!」と叫ぶ、流れるBGM「あ!ホームアローンだ!何だ今日ホームアローンやんのか!?」と平子が言う、またも神回の予感である。映画「ホームアローン」にちなみ「ひとりぼっちで家にいるイチル君に空き巣に入られないためのアイディア」をリスナーから募集、映画「ホームアローン」にちなんだアドバイスもあるがとんでもない発想のアドバイスもあり、とにかくこの放送も笑いを堪えきれなかった。「BOSEのスピーカーでRIZEの曲を流して聴いてる」というネタが一番面白かった。
ラジオという密室で二人の声だけで作り上げられていくラジオはリスナーの想像力を駆り立てる。
アルコ&ピースのラジオももちろんそう、海賊、ホームアローンなどのテーマにちなんだメールにより「ラジオコント」は白熱していく。
「劇場型ラジオ」とも評されるこの世界観が魅力的である。
劇場型、或いは「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」から「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」へ昇格しその後まさかの「アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロ」へ戻るという激動型のラジオだったこの番組、永遠に続くかと思ったこのラジオも最終回を迎えた。
ラジオが終わる事を知った瞬間、思わず俺は「嘘だろ」と呟いてしまった。しかし嘘では無かった。
アルコ&ピースのオールナイトニッポンゼロは終わった。
2016年秋、最終回から時は経ち、TBSラジオにてアルコ&ピースのラジオが始まる事を知った瞬間に、俺は思わず「嘘だろ」と呟いてしまった。しかし嘘では無かった。
「アルコ&ピース D.C.GARAGE」が始まったのだ。ワクワクしながら初回放送を聴いた。
2012年の「THE MANZAI」で披露した代表ネタ「忍者」を彷彿とさせるようなオープニングでのやり取りにニヤニヤしてしつつ、番組の最後までアルコ&ピースのラジオが始まった嬉しさを噛みしめながら聴いていた。番組名にある「D.C.GARAGE」の「D.C」についての説明のヤバさは相変わらず面白いし、コーナーについての説明の時にRADWIMPSの「前前前世」が流れてきた時はめちゃめちゃ笑ってしまった。大好きな曲なのだけれど。