俺、ラジオが好きだ。
「あ!ナンバーガールっぽい」
「この曲カッコいいな」という自分の一言の後に、ちょっと生意気にそんなコメントを添えた。
高校生になってからアルバムを聴き始めた。だけどもう、ナンバーガールというロックバンドは解散していた。でもナンバーガールの音楽は残っている。
冴えないけれどそれなりに楽しい。そんな生ぬるい青春時代、ナンバーガールが奏でる、鋭角で疾走感あるサウンドは、一際カッコよく響いた。
家族でスーパーへ買い物へ出かけて、帰る時だったと思う。
夕暮れ時とまではいかない時間、穏やかな午後のありふれた日常。
車のラジオから流れてきた曲は、DOESの「曇天」という曲だった。
後部座席の俺は、その曲を聴いて「カッコいいな」と思った。
ラジオから流れてきた曲を聴いてそう思ったのは、これが初めてかもしれない。
ちなみにその日から数年後、友達に誘われてロックバンドのライブに行った。
ライブハウスへ行く前に、駅前の十字屋で買って食べた焼き鳥が美味しかった。
友達と喋りながら、ライブハウスへと歩く。
たどり着いたライブハウス。
ステージの上に現れたロックバンドはDOESだった。
生で聴くDOESの楽曲はとてもカッコよかった。
これが、ラジオに関するエピソードで、俺が思い出す自分自身のエピソード。
或いは懐かしい記憶という名のフィルムだ。
では、自分の脳内にある見えない検索エンジンに「ラジオ」と入力し、さらに「お笑い芸人」と入力すると、どんなエピソードがヒットするのか、何を思い出すのか。
中学生の頃からお笑いに夢中になり、やや引っ込み思案な性格からか「クラスで目立つ陽気な面白い生徒」ではなく、「何気なく言う一言とかが、よくわかんないけど何か面白い、と、給食で同じ班になったもしくは席が近いクラスメイトにたまに言われる生徒」のポジションにいた。高校生の頃になると千原ジュニアとラーメンズをリスペクトし始め、多大なる影響を受ける。(現在も受けている)
ポジションは変わらず、だ。
さてそんなお笑いインドアっコな俺、夜中に深夜ラジオを聴きまくっていた・・・なんて事は無く、むしろお笑いのラジオは全く聴かずに青春時代を過ごし、中学と高校を卒業した。
お笑いのラジオに夢中になり始めたのは、高校を卒業してからだった。社会人として働き始めてからである。何気なくTSUTAYAで借りた「放送室」というラジオのCDがきっかけだった。
初めて聴いた時の衝撃たるや、凄まじかった。
物心がついた頃には、ごっつええ感じは終わっていて過去の伝説となり、思春期の学生なら誰しもハマるであろう、ガキ使罰ゲームやリンカーンが放つ「お笑い」にはハマれず、安売りされていた、昔の「ガキ使トーク傑作選」のビデオと、ヘイヘイヘイでのトークが大好きだった俺にとって「これだよ!これ、俺が大好きなのは」と嬉しくなってしまった。テレビとは違う一面も見せつつノスタルジーな話なども多く、松本人志と高須光聖の二人のトークの掛け合いは最高だった。俺が大好きな松本人志は「テレビ」でも「映画」でもなく「放送室」にいた。
お笑い芸人の「素」に近い一面、ラジオという密室で繰り広げられる熱く面白いトークに魅了され、俺は「お笑い芸人のラジオ」の魅力の虜となる。ナインティナインの
オールナイトニッ本がきっかけで、「うわ!ラジオのナイナイはテレビよりもさらに面白いんじゃん」と驚愕した。
他にも、気になった様々なラジオの過去放送を聴き漁った。
山里亮太とキングコング西野のトークバトルにはニヤニヤしつつも大笑いし、バカリズムがテレビゲームについて自身の思い出を交えて熱く語るのを聴いて笑いつつも感動し、お互いのミニ四駆のパーツをかけて熱く対決するアルコ&ピースの面白さにゲラゲラ笑った。熱く、熱くといえばダイノジ大谷のラジオ。
ボスの語り口には何度心を揺さぶられた事か、エモーショナルな放送は毎回毎回ハンパじゃない本気度で、俺の心の不安や退屈を吹き飛ばしてくれた。
深夜に炸裂する、伊集院光の妄想力と巧みなワードセンスが持つ馬鹿力は、嫌な気分やつまらない気分というプールに溺れそうな俺をいつも優しく引き上げてくれる。
軽妙な語り口の東京ポッド許可局の三人のトークには、いつもいつも知的好奇心を刺激される。
「お笑い」とは違うジャンルだが、「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」と「文科系トークラジオLife」も大好きだ。もう、ずっと聴いていられるくらいに面白くて、心にスーッと沁みこむ感覚。
「思いだしたよ、昔さ」そんな語り口で喋り始めた時のお笑い芸人のトークは、なぜこんなにもハートを鷲掴みにするんだろうか。
切ない時でも、さみしい時でも、面白くて楽しいラジオがあればきっと何とか乗り切れるのかも。
俺にとってラジオは、耳で聴く「エナジードリンク」みたいなものなのしれない。
「お笑いラジオの時間」という雑誌があって、それが大好きで何度も読み返している。文章のあちこちに伊集院光のラジオへの愛がちりばめてあって、読み終えた後、本から伊集院光のホログラムが浮かび上がるような、そんな感覚になるんだ。