ダウンタウンについて、俺なりに考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの
先日、TSUTAYAに行った際に「THE ⅤERY BEST ON AIR of Gottsu A kanji」のDVDの店頭プロモの前でまた足を止め、しばし画面の中のダウンタウンを眺めた。
1991年から1994年。俺はまだ生まれたばかりだった。
その後「お笑い」にハマり始めた中学生の頃には、「ダウンタウンのごっつええ感じ」は過去の伝説と化していた。友達の会話の中に「ガキ使」という単語がちらほら登場するようになっていったのも中学生の頃からだ。
「ガキ使」の代名詞ともいうべき「罰ゲームシリーズ」については「笑ってはいけないハイスクール」を見てゲラゲラ笑ったが、「24時間鬼ごっこ」は正直見てて笑えなかったというか、「うわーきついな」という気持ちが強く、俺には合わない「笑い」だった。
ガキ使よりも、ヘイヘイヘイが好きだ。
つまり俺が好きなのは「ダウンタウンのトーク」なのだ。二人のトークが大好きなのだ。「ガキ使 トーク傑作選」のDVDを見て「これこれこれ」と嬉しくなる。
想像力とワードセンス、面白さが膨れ上がる感覚。日常と非日常の境目。
ダウンタウンのトークが生み出す「笑い」が好きなのだ。
トークをしている二人の姿がカッコよかったのだ。
松本人志は面白い。
ネットで、現実世界で。あらゆる場所にてあらゆる人が言ってきたであろう言葉をあえて記す。松本人志は面白い。「何が面白いの?」と聞かれると返答に困る。
やはり「松本人志のトーク」が面白い。トークが好きな俺は、松本人志と高須光聖のラジオ「放送室」を聴いて、衝撃を受けた。そこにはテレビとは違う一面の「松本人志の喋り」があった。特に少年時代のノスタルジーなトークが最高だった。
その後、DVDで「ごっつええ感じ」のコントを見て衝撃を受けた。
これぞコントと呼べるバカバカしい笑いもあるが、悲哀や狂気がそこにミックスされ、芸術性を高めている。戦隊ヒーローなどの無邪気で純粋なモチーフを、大人が独特な色彩でカラーリングしたかのような、孤高の作品性。
明るくキラキラした「笑い」だけでなく、鋭くカラリと乾いたシリアスな「笑い」もそこにはある。
ごっつええ感じの笑いを、現在よりもさらに純度の高い「ダウンタウンの笑い」をリアルタイムで体験出来た方々がうらやましい。
お笑いと漫画が大好きな俺は、二人の「松本」にはかなり影響を受けている。