人生を変えた「お笑い」
俺が密かに憧れている、てれびのスキマさんの本『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』を昨日読み終えた。前々から気になっていて、ずっと読みたかった一冊だ。
読む前に、本にはさむ為のしおりを準備したのだが、しおりは無用だった。
あまりにも面白く、濃密な熱が込められた内容に一気に読んでしまった。
お笑い芸人の生き様に、心揺さぶられた。
どのエピソードも面白かったのだが、やっぱり「有吉弘行と猿岩石の地獄」と「芸人・有吉弘行のウソ」が特に最高だった。「有吉弘行の芸人としての強さ」の理由がわかった気がした。
漫画『シャーマンキング』で、登場人物が地獄から生還した時に巫力が上がるように、有吉弘行もお笑い芸人の地獄から生還し、以前にも増して「面白さ」がグレードアップしたのだ。
ちなみに俺は「猿岩石」ブームの頃は全く知らないに等しい。
幼稚園の頃に「さ」から始まるものの絵を描いてみましょうと言われた時、誰かが「猿岩石」と言った記憶がうっすらとある。
その後、大人になってから「内村プロデュース」のDVDを見て「有吉弘行」の存在を知った。コーナー内で、笑わないキングに扮し、内村や三村が繰り出す笑いに耐え抜いていた。
その後、毒舌と鋭い発言で瞬く間に有吉弘行は「お笑い界」を牽引していく。
「テレビで見ない日は無い」なんて表現が似合いすぎる大躍進。
「テレビで見なくなった芸人」から「テレビでほぼ絶対に見る芸人」への華麗なる変貌。
正直「テレビを見ていて面白いなぁと思う」ぐらいの熱烈なファンではない俺でさえも、この本を読んで有吉弘行のファンになった。
しかし、この本の購入を決めた理由となる章は「有吉弘行」の章では無い。
「オリエンタルラジオの証明」という章だ。
俺にとって特別な「お笑い芸人」なのである。
お笑い史における、何度目かの「お笑いブーム」が世間を直撃したのは、俺が中学生の頃だ。さまぁ~ずのライブビデオを見て「お笑い」にハマり始めた頃ともほぼ重なる。
「拙者、ギター侍じゃ」「ちょっとどこ見てんのよ」「なんでだろうなんでだろう」「ゲッツ」テレビ画面の中からは、日々様々なギャグが聞こえてきた。その中でも一番のボリュームで聴こえてきたのが「オリエンタルラジオ」の「武勇伝」だった。
ポップなメロディに、スタイリッシュな発想を乗せる。
見たこともない革新的な笑いのフォーマット。
彼らのネタ「武勇伝」は、強者ぞろいである狂乱のお笑いレースを駆け抜けるためのトップクラスのエンジンだった。
瞬く間にオリエンタルラジオはスター街道を爆走する。ナインティナインの番組に出演した際に「デビュー1年目でナイナイさんと共演!」と中田敦彦は吠えた。
最速出世。オリエンタルラジオがテレビ界を駆け抜けていく様子を、俺はリアルタイムで目撃していた。
「オリラジすげぇ」そう思った。
俺たちの世代を代表するお笑い芸人が誕生した事に喜びを感じた。
その後、オリラジは失速していく。若手芸人のガムシャラな操縦で怪物的なエンジンはオーバーヒートしていたのかもしれない。
確か俺が高校生の頃だ。近所のTSUTAYAでオリラジのDVD「十」を発見する。
「オリラジ、DVD出していたんだ」という何気ない気持ちで借りて、見た。
衝撃を受けた。
このDVDに収録されているオリエンタルラジオが放つコントは、良くも悪くも世間に蔓延した「オリラジって武勇伝でしょ」というイメージを壊していく序章なのかもしれない。
「あぁやっぱりオリラジ好きなんだよ、俺」
オリラジの輝きが再燃した。
その後、DVD「才」を見てまたも衝撃を受ける。
怒涛の80分漫才。漫才をするオリエンタルラジオの姿がカッコよく、そして何よりもオリエンタルラジオの漫才は、面白かった。
てれびのスキマさんの本のタイトルにもある「芸人たちの生き方」という言葉。
俺はオリエンタルラジオの「中田敦彦」の生き方に影響を受けている。
中田敦彦に憧れているのだ。
ラジオのワンコーナー「僕たちの夜明け前」でのエピソードトークに衝撃を受け、「マンスリーよしもと」での連載「芸人前夜」を夢中で読みふけった。
「アメトーーク」でのジョジョやエヴァについて熱く語る「しゃべり」とイケてない青春時代の暗黒トーク。
漫画や映画、お笑いが好きで、冴えない青春を過ごしてきた俺にとって、中田敦彦のトークは熱く心に響いてきた。
博士の『藝人春秋』という本の中の一説によれば、ロックスター、甲本ヒロトの中学時代にラジオからビートルズが流れてきたからロックをはじめたという発言を意識し、博士は「中学時代、ラジオからビートたけしが流れてきたから芸人をはじめた!」と書いたらしい。
両者とも「人生を変えたきっかけ」はラジオだったわけだ。
この一説を読んだ時、ふと思った。
自分の人生を変えるくらいの衝撃って何だろうと。
俺の場合も「ラジオ」だった。
そう、オリエンタルラジオという名の。