少年の冒険心を終わらせないミュージック、SEKAI NO OWARIが鳴らすミュージックは今を生きる若者たちが紡ぐ物語のサントラなのか。
世界の終わり。
その言葉を聞いて連想するのは何だろうか。
村上春樹のある小説のタイトル。
浅野いにおのある作品のタイトル。
ミッシェルガンエレファントの代表曲。
でも「今」真っ先に浮かぶのはきっと「セカオワ」なのではないか。
セカオワ。
RPG。
今、僕らが生きている「現代」という世界もある種のRPGで、誰しもが主人公で、それぞれがそれぞれの物語を進行している感覚。で、そのRPGのBGMはセカオワだったり、神聖かまってちゃんだったりするんだろうなと思う。人それぞれだろうけど、BGMのチョイスは。
セカオワのデジタルでファンタジーな音の雰囲気って、どことなくゲーム音楽っぽい雰囲気がする。昔やったゲームボーイソフトの音楽とか、やっぱりかすかに覚えているんだよなぁ。ポケモン、メダロット、ぐるぐるガラクターズ。
先日のミュージックステーションの、あのトランシーバー風マイクで歌うあの姿はカッコいい。トランシーバーってアイテムがまたいい。少年のハートに響く。なんかトランシーバー、虫眼鏡、双眼鏡、ペンライト、ああいう冒険グッズに子どもの頃に憧れるあの気持ちにもよく似てる気がする。
冒険、トランシーバー、僕らの世界から発信して、みんなで踊る。
ミュージックステーションのセカオワを見ていたらそんなキーワードというか雰囲気を感じ取った。
「怖くても大丈夫僕らはもう一人じゃない」RPGという曲の中で、Fukaseはそう歌う。さりげないけれど心にグッとくるフレーズ。
誰かと繋がることの出来るツールにあふれた現代。孤独への感覚が鈍りつつあるのかもしれない。けれど「孤独」という存在が消失したわけじゃない。ある日ふとやってくるものなのかもしれない。
誰かと繋がる。
いつでも気持ちを発信できる。
デジタルの海という大海原を漂流して、その気持ちはきっと誰かに繋がるんだ。
SEKAI NO OWARIが鳴らすミュージックは、途方もなく広大な、デジタルな海に囲まれた僕らの心を励ます音楽なのかもしれない。
「僕らはまた出かけよう」とRPGという曲の中でFukaseは歌う。
出かける。冒険は続く。世界の果て。未来へと続く物語だ。
RPGという曲の高揚感、冒険のテーマソングみたいな雰囲気が好きなんだよ。
気がつけば、セカオワにハマりつつある自分がいる。
今日の夕方、俺はTSUTAYAに行ってアルバム「ENTERTAINMENT」を借りてきた。
音楽を聴くのが好き。
日常のBGM、それはいつしか「人生」という物語のテーマソングにもなり得る気がする。
浅野いにおの『世界の終わりと夜明け前』という漫画が俺は大好きだ。
そういえばTSUTAYAからの帰り道に聴いていた曲はBaseBallBearの「yoakemae」だった。