FamilyMartってTommy heavenlyとちょっと文字の雰囲気が似てる気がするBlog

何気ない日常、音楽や映画や小説やテレビなどの感想。

細田守作品とともに生きている。

幼い頃に見た「クジラ」の本が怖かったのを今でも覚えている。

でも怖い怖いとわかりながらも本棚から時々取り出してはクジラの写真を眺めていた気がする。
今でもテレビなどで深海を泳ぐクジラの映像などを見かけると、背筋がゾワゾワする。真っ暗で限りなく広大な海の中に巨大なクジラがいるという構図が怖いのだ。

今日はとても暑い日だった。
夕方でもまだ暑さの片鱗は残っていて、生ぬるい風が映画館へ向かう俺の髪を撫ぜた。

「バケモノの子」のポスターを初めて見た時から「うわ、面白そう」と胸がワクワクしたのを覚えている。映画館で細田守作品を見るのは「東映アニメフェア」の「デジモンアトベンチャー」以来だからもう何年ぶりなんだろうか。

子どもの頃「デジモンアトベンチャー ぼくらのウォーゲーム」で心を鷲掴みされた。
高校生の頃にテレビで放送されていた「時をかける少女」をビデオに録画して何度も見た。
そして高校を卒業し社会人として働き始めてから見た「サマーウォーズ」に目頭が熱くなった。

歩んできた人生の中の様々な場面で細田守作品に触れては心を揺さぶられている。

そして今日、細田守作品最新作「バケモノの子」を映画館で見てきた。

孤独な少年「蓮」はある日「熊徹」というバケモノと出会い、人間界の「渋谷」からバケモノたちの住む世界「渋天街」に来てしまう。弟子を探していた熊徹から「九太」と呼ばれながら共同生活と修行の日々の中、口ゲンカをしたりと反抗的だったが、段々と絆が生まれ成長していく。

ストーリーのはじまりを簡単に説明すればこんな感じだ。バケモノの世界の中で修行していく中で成長し強くなっていく蓮、ぶっきらぼうで熱血漢な熊徹と蓮の成長を見守る多々良と百秋坊というキャラクターも良い。百秋坊の声の吹き替えはリリー・フランキーさんなのだが百秋坊のキャラクターにすごくマッチしていると思った。

異世界に行くタイプの物語として重要なのが「現実世界へ戻る」という点だと思う。しかし孤独で行き場の無い蓮には「現実世界へいつ帰れるんだよ!」という不安も無い。が青年になった蓮はある日突然のキッカケで今まで自分がいた「渋谷」へ戻ってきてしまう。
そのシーンを見た時、俺はすごく驚いた「え、突然戻るの!?」と。
立ち並ぶビル、人々の賑やかな喧騒、渋天街の風景ばかりを見ていたから突然のギャップに戸惑った。しかしこの「いきなり戻る」というのがなんだか妙に好きだった。

そこで女子高生の楓や、蓮にとって大切な立場のある人物と出会い、蓮は自分自身の今後の生き方について考え始める。
物語を読み、勉強をし、自分の知らない世界について知っていく。バケモノ界を行き来しながら。

そしてバケモノ界のメインイベントともいえるある試合で予想にもしない出来事が巻き起こり物語はスピードを増す、バケモノ界と人間界の二つの世界をも巻き込む大事件へと発展していく。

渋谷。クジラ。渋谷センター街ABCマート、スタバ、TSUTAYA
俺も二回ほどだけと遊びに行ったことがある街。
今存在している街を舞台にファンタジーな事が起こるという設定が俺はすごく好きなので、クライマックスの渋谷センター街でのバトルシーンはかなりテンションが上がった。
クジラというキーワードもすごくいい。水色で巨大な空想上のクジラのバケモノが、渋谷という海を泳ぎ暴れる。やはりクジラは怖かったけれど、スクリーンから目を離す事は出来なかった。

人間が抱える孤独や闇や誰もわかってくれないという複雑な気持ち、蓮も楓も心の中で葛藤している。

蓮は現実世界で生きていく。
熊徹を心に共にして、心に灯して。

壮絶な戦いを終え、朝焼けが街を照らしていくあのシーンが強烈に好きだった。

映画が終わり、スタッフロールとともにミスチルの主題歌が流れる。
桜井和寿は歌う「僕だけが行ける世界で銃声が轟く」と。そのフレーズが強烈だった。

戦い、傷つきながらも成長する。
孤独を抱えながらも何かのキッカケで変わる。「バケモノの子」はあたたかな希望がある作品だと思った。

映画館を出た俺はミスチルが聴きたくなった。
ミスチルの「SENSE」というアルバムのジャケット写真もクジラだった。
このアルバムに収録されている大好きな曲「ロックンロールは生きている」を聴く。
ウォークマンから曲は再生される、歩き出す。夕方だった街は映画館を出る頃にはもう夜になっていた。

「バケモノの子」を見て心撃ち抜かれた。やっぱり細田守作品が紡ぎ出す物語や世界観が好きだ、細田守作品とともに生きている。少なくとも俺はそうだと思っている。