映画「何者」を観た。俺ら、何者にもなれないってよ。
「俺が朝井リョウの小説『何者』を読んだのはいつだっただろうか」そう思い、mixiの日記に書いていたはずなので見てみた。
日記によれば、朝井リョウの小説『何者』を読んだのは2012年の12月10日らしい。
物語の面白さとスリルに打ちのめされて一気に最後まで読んだ事を覚えている。
数年前の自分の日記やつぶやきを読み返したらコメント欄に「退会したユーザー」の文字が並ぶ、まるでもう誰もいなくなった惑星に一人不時着したような孤独感すら感じる。
ある日の日記のタイトルが「さっき塩タンタン麺と入力しようと思ったら、間違えて塩タイタン麺になっていて焦ったのは内緒だよ。」で我ながら「くだらねー」と苦笑いしてしまった。
ちなみに遡って読んでみると、その日記を書いた何日か前に朝井リョウの小説『もう一度生まれる』を読んでいた事がわかった。
あの頃の俺に言ったらどんなリアクションするだろうか「レンタルビデオ屋さんに迷い込んできた野良犬がマドンナのMVをジッと見ていたのを目撃したことがある」だなんて事をmixiの日記に書いていた俺に。
もっとmixiを遡れば、もしかしたら『人間失格 三浦大輔戯曲集』を読んだ事が書いてあるかもしれないと思ったけれど、5、6年前の自分の日記を読み返し続ける作業は疲れるし気恥ずかしさもある、それに古傷をえぐるような内容と正面衝突したり、堰を切ったように懐かしさがあふれそうになりそうなのでやめておいた。
人気女優俳優の勢揃いの顔ぶれを見て「就活をする大学生の青春譚」とだけ思い「甘酸っぱい恋愛があるのかなー?佐藤健イケメン、有村架純可愛い!」なんてほんわか思っている少年少女たちに夢を一切見せない容赦なきシビアな世界。青春時代真っ只中を抜け「そろそろ進路を考えた方がよくね?」と思っている若者たちが見たらなかなかに心に刺さるものがあると思う。
の終わりの前夜祭のような賑やかさとは裏腹に就職のシビアな現実も描かれていく。
物語の主人公は全員大学生、高校卒業してすぐに働き始めたので大学には行っていない俺ですら高校中の就職活動の気まずさを思い出してしまう程だった。
履歴書を書く度に武器の少ない己のステータスを目の当たりにしているようで苦しかった事、電車に揺られ見ず知らずの町に行き就職試験を受けに行くのはすごく不安だった事、「働く」と決心した俺宛に送られてくる専門学校のパンフレットを「働くと決めたのに送ってくんなよ、学校」と不条理な怒りが込み上げた事。
そんな高校生の頃にTwitterをやっていたらどうなっていただろうか。
映画でも原作小説でも「何者」の物語においてTwitterは重要なツールとなっている。
こんなタイトルをつけてしまうのだから「何者」に登場する「烏丸ギンジ」の存在は直視するのがちょっとキツかった。「激団 毒とビスケット」を主催し演劇の世界で活動している人物だ。
劇団ではなく「激団」と称している辺りがなんか、もう、なのである。
菅田将暉演じる「神谷光太郎」がボーカルギターのバンド「OVERMUSIC」このバンド名もなかなか、こう、ニヤニヤしてしまうものがある。
解散後、明るかった髪色を黒に染め就活すると拓人に話す光太郎。
映画「何者」の物語は就活を軸に動き出し、瑞月の友達二階堂ふみ演じる理香と意気投合し四人は就活へと打ち込んでいく。
そんな四人へ「就活はしない」と話す、理香と同棲中の岡田将生演じる隆良、このキャラクターが絶妙だった。
自転車、飲んでるビール、クラッチバッグ、丸メガネ、本、服!「こういう人、いる!」感がたまらない。オシャレ極めまくりのあの感じ。クリエイター系男子隆良と拓人のバイト先の先輩である、山田孝之演じるサワ先輩が物語に絶妙なスパイスをふりまく。
そしてかつては二宮拓人と演劇活動をしていた烏丸ギンジも物語のキーパーソンとなっていく。
就職先が決まらず苦悩する拓人、一方の烏丸ギンジは演劇活動を続けている。
自分が熱中したもの好きなものを糧に表現者として生きるギンジ、誰もが青春時代に憧れてしまうシチュエーションである。
この「Twitterというツールを物語に落とし込む感じ」が心地良かった。
それぞれの登場人物のTwitterの作り込み具合、そしてTwitterの頻度もいい、拓人は常にスマホを気にしているが光太郎や瑞月はあまりそういう描写がない。拓人が光太郎と瑞月へ、隆良と理香のツイートを見せ「何で直接話さないんだろうね」というようなセリフをしゃべるシーンがあるのだが、あのセリフ後の光太郎と瑞月の気まずい沈黙、なんだろうかあのリアルな感じは。
劇中で拓人の吐くタバコの煙のように、まとわりつく全てを煙に巻いて呼吸し続けることは実は息苦しい、天真爛漫な光太郎と純粋無垢な瑞月の存在が冷静に分析する事で自分を守っているつもりの拓人にはきっと眩しく感じるのではないかと思う。
何気ない爽やかな青春群像劇と思いきや、自意識や人間の妬みや嫉み、痛みが混じり合う苦い青春。
巷に流行する甘酸っぱく胸きゅんな恋愛青春映画に「リアルと思い通りにならない絶望」という鉄槌を振り下ろすかのような作品である。
意識高い系と揶揄され就活活動に打ち込む理香、ネットで辛口評価を受けながらも演劇を続ける烏丸ギンジ、内定を得た光太郎と瑞月、誰の生き方もきっと大変なのだ。現実はドラマチックにはいかない。
映画「何者」は、後半あるシーンを境に物語が豹変する。まるで物語のベールが取られ、三浦大輔演劇のメソッドが脈々と流れる物語の心臓を見せられたかのようなハッとする瞬間だった。
青春時代の終わらせ方をわからない拓人の孤独が胸に残る。
きっとこんなブログも「映画 何者 拓人」でエゴサーチした拓人から暗い部屋で読まれて冷笑されるのだろう。