燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んだ。
「1999年夏。もしも地球が滅亡しなければ、ボクたちは一緒に生きていくはずだった」
読み終えて本を閉じると、帯にはそんな言葉が載っていた。
1999年の夏、俺は一体何をしていたんだろうか。
あの頃はまだ子どもだった。
小学生だった俺は「新世紀エヴァンゲリオン」も「ダウンタウンのごっつええ感じ」も「小沢健二」も知らなかった。
とにかく、ポケモンに夢中だった。
あの頃流行っていた「恐怖の大王がやってくる」というノストラダムスの大予言は見事に外れた。あの頃に愛読していたコロコロコミックではギャグマンガがノストラダムスの大予言を面白おかしく「笑い」にしていた。
恐怖の大王がやってきて、地球が滅亡するなんて俺は微塵も思っていなかっただろう、多分。
90年代の小学生の頃の思い出やエピソードは、自分にとってまるで映画のようで、時々あの頃のエピソードを思い浮かべては「懐かしいなぁ」というノスタルジーな感情が持つ甘美な味わいを舌ではなく心で堪能していた。
懐かしい曲、懐かしい小説、懐かしいドラマなどなど。
KinKi Kidsの「硝子の少年」とWhiteberryの「夏祭り」を聴いてしまうと、無垢で無邪気な小学生の頃の思い出が頭を過る。
1999年の夏から時は流れて2017年。
気がつけばもう、社会人として働き始めて何年経つんだろうか。
時の流れの早さにゾッとする。
高校を卒業してすぐに社会人として働き始めて間もない頃の自分のTwitterのアカウントはまだ「ネットの海」に残っている。
2011年には「昨日パラノーマル・アクティビティを見た、めちゃくちゃ怖い映画」というツイートをしている。
アカウントを作り直したり消したりして、今のアカウントでTwitterを開始してどのくらいになるだろう。
少なくともあの頃よりはTwitterにハマっている気がする。
仕事でつらい時には「燃え殻」さんのツイートを読んでは奮い立たされたり癒されたりした。
俺はずっと「燃え殻」さんが紡ぐツイートのファンだった。
そしてついに、燃え殻さんの小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が世に出た。
ウェブで連載していた頃から「書籍化しないかなぁ」と願っていたので嬉しくって仕方なかった。
そして気がつけば一気に読んでしまうくらいに、この物語にこの物語を紡ぐ言葉や文章に魅了されていた。
こんなにも繊細で面白くて愛しいラブストーリーがあっただろうか。
物語を構成する全19章1つ1つが映画1本分のドラマチックさと面白さを含んでいるし、物語の要所要所に散りばめられた固有名詞が、登場人物が呼吸する「年代」をより立体的にしている。
物語に入り込むという言葉があるが、ここまで入り込んだ、あるいは入り込みたくなる物語は他にあるだろうか。
最初の章のタイトルが「最愛のブスに友達リクエストが送信されました」だもうこの時点で今から紡がれる物語は最高だと確信した、そして一気に最後の章「バック・トゥ・ザ・ノーフューチャー」まで駆け抜けるように読んだ。
1999年夏、滅亡しなかったから俺も燃え殻さんも今生きている。「ボクたちはみんな大人になれなかった」今俺は大人になれているんだろうか。
Facebookを開けば同級生はちらほら結婚している。
「映画桐島部活やめるってよ二回も映画館に見に行った」なんて投稿してるのはあの夏は俺だけだった、多分、いや絶対。
まるで大人への階段を登り遅れたような切なさがあった。
それでも俺は音楽や映画や小説やお笑いが好きだった、大好きだった。
燃え殻さんがロックバンド「GRAPEVINE」についてツイートしていた。
俺も大好きなロックバンドだったから嬉しかった。
あれは中学生の頃だ。
椎名林檎のインタビューが読みたかったのと表紙のTommyheavenly6が可愛かったから買った音楽雑誌『MARQUEE』にGRAPEVINEも載っていた。高校生になって読み始めた桜井亜美の小説の、巻末解説を書いていたのがGRAPEVINEのフロントマン、田中和将だった。
GRAPEVINEの「羽根」や「HEAD」を聴くと中学生や高校生になったばかりの青春時代のあの頃を思い出してしまう。
あの頃の感情は、あの頃の音楽や映画やドラマや小説が覚えていてくれる。燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』もきっと今の俺の感情や思い出を覚えていてくれる予感がする。
Twitterやブログには熱く熱く感想を書くくせに、きっとFacebookには「燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んだ。最高だった」みたいにシンプルな味付けで感想をアップしてしまうんだろうな、俺は。
でも読まずにはいられなかった。