FamilyMartってTommy heavenlyとちょっと文字の雰囲気が似てる気がするBlog

何気ない日常、音楽や映画や小説やテレビなどの感想。

東日本大震災の翌日、テレビで放送される予定だった映画について。俺の記憶が正しければ。

あの日を振り返ってみる。

職場からの帰り道、信号は機能停止していた。

コンビニの前も中も人で賑わっていた。「まるで映画のワンシーンみたいだ」と今だからこそあの日を振り返って言える。

途中、缶コーヒーを飲もうと思い自動販売機で缶コーヒーを購入しようとした。

缶コーヒーのボタンを押す、無反応。
「そうか停電してるから自動販売機も動かないのか」と思った瞬間に、急に怖くなってきた。「今、危ない状況だ」という気持ちがより鮮明になった。あの自動販売機のボタンを押した瞬間に、自分の中にあるスイッチが作動したかのように、「早く家に帰ろう」という気持ちが込み上げてきた。

帰り道、車中では大好きなライムスターの曲を流していた気がする。

家も、家族も無事だった、安堵した。
真っ暗な部屋。懐中電灯だけが光ってる。「海賊船の中かよ」俺と弟は何をすべきかわからず、とりあえずくだらない話を喋った。平穏な日常を取り戻すかのように、喋った。

他にライトは無いのかと探したら、ジュースのオマケでついてきた、リラックマのお尻が光る人形があった。照らした。この緊急自体にリラックマ、緊張と緩和の絶妙なバランスに笑った。

夜。とにかく寒かった記憶がある。リリーフランキーさんのラジオTR2の過去放送を聴きながら俺は眠った。またしても「くだらないおしゃべり」を求めていた。最悪の状況だからこそ、俺は誰かのトークに癒されたかった。

ふと目が覚めた時まだ夜中の10時で「まだ10時かよ」と思った記憶がある。あの日の夜は長く、寒かった。

あの日、すがすがしいくらいに青空だった記憶がある。午前中職場に行き午後は家にいた。コンビニで溶けかけたハーゲンダッツを無料で配っていた。

夜、親戚の家でニュースを見ていた。

仙台には俺の友達も何人か住んでいたし、俺も何度か遊びに行ったことがある大好きな街だった。
だからこそショックは大きかった。

怖かった。

12日の夜には停電も修復した。
電気、こたつ、テレビが復活した瞬間、心から感動した。

風評被害被災地、仮説住宅。
ニュースからは耳慣れない言葉が飛び交う。痛ましい映像、震災が起きた直後の頃はテレビを嫌いになった。悲しい映像ばかりになったから。
ガソリンを求める車の渋滞、棚に何もないコンビニ、全てこの目で見た、被害の少ない山形でもそのような光景はあった。

友達も家族も自分自身も無事だった。
とにかくそれが嬉しかった。

あれから4年、4年も経つのか。

東日本大震災が起きた翌日、確か俺の記憶が正しければテレビで映画「ゴールデン・スランバー」を放送する予定だったのだ。

暗殺犯にしたてあげられた男の逃走劇、物語の舞台となったのは、仙台。

しかもこの「ゴールデン・スランバー」を公開当時、仙台に遊びに行った際に友達と見ている。夜中に映画館で。
あまりにも面白い映画を見た感動で胸が高鳴っていた雪降る帰り道を今でも覚えている。

映画がテレビで放送される前日に、東日本大震災が起きた。俺が映画を見た街と、その映画の舞台となり映画が撮られた街が被害にあった。

当然ながら東日本大震災翌日にテレビで映画は放送されなかった。

全て、偶然だと思うけれど、当然偶然なんだろうけれど、自分の中ですごく印象に残っているのはやはりこの「ゴールデン・スランバー」を巡るこのこと。

社会人一年目の頃はよく仙台の友達の所へ遊びに行っていた。楽しくて楽しくて、夜中に部屋でくだらないおしゃべりをしたり。仙台という町が好きだ。友達が住んでいた泉区も好きだ。

色々な思いが巡る、これから「3月11日」がくるたびに思いが巡るのだろうか。