FamilyMartってTommy heavenlyとちょっと文字の雰囲気が似てる気がするBlog

何気ない日常、音楽や映画や小説やテレビなどの感想。

孤高の戦い、セッション。

鬼の形相でドラムを叩きまくり、猛練習によって血が滲んだ手のひらをたっぷり氷の入ったカップの中に入れる、スクリーンに血が滲んでいく。

映画「セッション」で強烈なシーンはいくつもあるが、俺が特に印象に残っているシーンはそこかもしれない。

音楽的な知識は皆無なので音楽的な目線からこの作品を語る事は俺には出来ない。その語りは音楽に造詣のある方々がやってくれるだろう。俺が言いたいのはシンプルに一言。「この映画かなり面白い!」です。

実はシンプルなバトル映画なのかもしれないと思った「セッション」は。

偉大なる音楽家を目指すニーマンと狂気的な熱量を放つ講師フレッチャーのバトル。もちろん作品内には他にも登場人物が出てくるがこの作品のスポットライトは間違いなくニーマンとフレッチャーを一番照らしていると思う。

フレッチャーを見返すためにひたすらドラムを叩きまくり練習をするニーマンのあの姿、表情は強烈なインパクトがある、そんな主人公ニーマンを、ドラムにスティックを振り下ろすように怒号と罵声を乱れ打ちするフレッチャーは猛練習という枠をはみ出すような音楽レッスンで追い込んでいく。

正直怖かった。偉大なる音楽家を目指す者は、史上最高のバンドを完成させる者は、あんなにも感情を爆発させ、あんな表情をするのかと心が震えた。スクリーンから目をそらした瞬間にフレッチャーが何かを投げてくるんじゃないかとすら思った。そのくらいこの映画「セッション」は観客を引き込む魅力と迫力がある。

フレッチャーを見返すためにともに戦う仲間がいないのも大きなポイントな気がする。周りは大人ばかりのバンドに史上最年少で飛び込み、家族に劣等感を抱え、せっかく出来た恋人とすらすぐに別れを告げてしまう、ドラムに、音楽にストイックに立ち向かっていくニーマンの孤高の佇まいはカッコいい。

映画後半、思わぬ展開が訪れた瞬間、それまでに俺がぼんやりと抱いていた「セッション」のストーリーは崩壊した、予想外。「この後どうなるんだ!?」と思った。

ラストのコンサートのシーン、俺は心が震えっぱなしだった。もしもフレッチャーがいたら言うだろうか「お前の心の鼓動が早すぎるぞ」と。激昂するフレッチャーにこう言いたい「フレッチャーとニーマンが原因だよ」と。

ニーマンはひたすら叩く叩く叩く、鳴らす鳴らす鳴らす、音が鳴り響いていく。
つんのめりそうになるくらいにハイスピードで進んでいくクライマックスに俺は完全にハートを奪われていた。

映画館を出たあとも、脳内でニーマンとフレッチャーが戦っているような気がした。

見た人のハートをスティックで思い切り叩きビートを掻き鳴らしてくれるような、強烈なインパクトがある映画だ。