『1989年のテレビっ子』を読んで。僕達をくぎ付けにして 一人夢中にさせようとした すべての大人とテレビに感謝します
正直に言う、本で泣いたのはこれで二度目だ。
あれは多分中学生の頃だったと思う。
その中でも糸井重里さんの言葉が特に心にガツンと響いた。
嬉しかったのだ、とにかく。
銀杏BOYZの事を大人たちが認めてくれたみたいで。
「あぁ、俺は銀杏BOYZを聴いてもいいんだな」と心底思った。
嬉しさのあまり、本屋から帰る車中の後部座席で俺は泣いてしまった。
本屋で、大好きな作家さんの一人である「てれびのスキマ」さんこと戸部田誠さんの新刊『1989年のテレビっ子』の手に取って眺めた、本の帯の後ろに綴られた言葉の数々に圧倒された。
俺もリアルタイムで見ていたんだもの、「笑っていいとも!」の伝説を。
帯の表にある、誰にとってもテレビが青春だった「1989年」を巡る、僕や君や彼らのための群像劇。という言葉も良かった。グッと涙腺を押され涙が頬を伝った。
そして俺は本を購入し家路を急いだ。
1989年、俺はまだ生まれていない。
俺が生まれる前の、お笑い史を知りたかった。
ページをめくればめくるほどに飛び込んでくるような、ダウンタウン、明石家さんま、ビートたけし、タモリ、とんねるず、萩本欽一、紳竜etc数々のエピソードの乱れ撃ちに酔いしれた、伝説級の存在感、カッコ良すぎると思った。
芸人たちだけでなくテレビマンたちの激闘っぷりにハラハラした。
読んでいると、萩本欽一さんってこんなすごい人だったのか俺が幼い頃にばあちゃんと一緒に見ていた「欽ちゃんとみんなでしゃべって笑って」というテレビ番組を思い出すなぁなんてそんな風に思い出のスイッチを押される感覚があり、懐かしさが込み上げてくる。
とにかく、夢中になって読んだ。
特に最終章の「テレビの嘘と希望」が心にガツンと響いた。
俺も子どもの頃からテレビが好きだった。
振り返ってみれば「金曜かきこみTV」でミュージシャンのROLLYさんが夕陽が差し込み吹奏楽部の音が聴こえてくる誰もいない放課後の廊下を一人で歩くとSF映画みたいだ、というように言っていたのはすごくステキだった。
「笑っていいとも!」のグランドフィナーレのお笑いレジェンドたちが集結した場面に熱狂した、何気無く見た「ダウンタウンDX」で期末テストが難しかったという話を始めた若手タレントに「ひっかけが2つあったもんねー」とさらりとボケをかます松本人志のシャープさはカッコ良かった。
ダウンタウン二人のトークのトーンと佇まいのカッコ良さが好きだった。
仕事の休憩時間中に見た「イッテQ」の内村光良さんに爆笑して疲れが吹き飛んだりもした、ヘルメットおじさんブラックに救われた。
読み終えた瞬間に、ふと、やっぱりテレビが好きなんだなぁとあらためて思った。
テレビとお笑い芸人はいつだって、ありきたりな日常を生きる僕達に刺激と笑いと優しさをくれる、見えない手を差し伸べてくれると思う。
多分この先『1989年のテレビっ子』を何度でも読み返すだろう。
この一冊に刻まれた熱量は計り知れないと思う。
R-1ぐらんぷり2016感想〜とにかく安心出来ないハリウッドザコシショウの強さを見た〜
キングオブコント、M-1グランプリ、THE MANZAI。
賞レースの決勝進出者を見る度に「なんでこの芸人が決勝行かないんだよ!めちゃ面白いのに!」と悔しい気持ちになったのは一度や二度では無い。
特に「R-1ぐらんぷり」についてはその悔しい気持ちが濃厚である。
ピン芸日本一を決めるこの大会。
キングオブコントは「コント」の大会だし、M-1グランプリとTHE MANZAIは「漫才」の大会。
しかし「R-1ぐらんぷり」は「ピン芸」の大会。
つまりピン芸であればいいので中身は一人コント、歌ネタ、モノマネ、フリップ芸もOKという波乱の大会なのだ。
あるのに」というような発言をしていたのも面白かった。
R-1ぐらんぷり2016、俺が大好きなヤナギブソン、中山功太、ヒューマン中村の御三方が決勝戦に出ないことを知り、「見なくてもいいや」という気持ちになっていたが、しかし結局「R-1ぐらんぷり2016」を見た。
ハリウッドザコシショウが決勝進出という一件だけが気になっていたというのもある。
R-1ぐらんぷり2016、ハリウッドザコシショウは一夜にして伝説となった。
黒いパンツ一丁という出で立ちは「安心してください、はいてますよ」でおなじみのとにかく明るい安村を彷彿とさせるが、同じパンツ一丁でもハリウッドザコシショウの場合は安心出来ない、自由でダイナミックな予測不能のショー、全力で繰り出されるモノマネは恐るべき程のパワーだった。
会場にいるお客さんの笑い声がテレビの画面越しによりクッキリと伝わってきた。
「会場を沸かす」という言葉があるがまさにこの事かと思った。
決勝で披露したコント、そのフォーマットは「モノマネをする」というシンプルな佇まいになっていたが、ネタの芯に秘めたコアさは決してブレず、長年笑いのスタイルを曲げずに見事R-1ぐらんぷり2016という晴れ舞台に上がったハリウッドザコシショウの姿に圧倒された。
最後のオチの一言が絶妙だったエハラマサヒロ、久々に「まえまえまえ」という持ちギャグも披露した小島よしお、絵心と世界観を爆発させたシャンプーハットこいで、敗者復活の勢いそのままに圧倒的熱量だったサンシャイン池崎、畳み掛けるようなスピード感がすごかったおいでやす小田、女性コントの新境地個人的には「待って、もう10月!?こわ」という一言ネタも聞きたかった横澤夏子、スタンダップコメディのような厚切りジェイソン、「こういうやつがiPhone作るぞ」の一言で不意打ちのように笑ってしまったルシファー吉岡、服を着て技巧派なフリップ芸を見せたとにかく明るい安村、「イオンの裏」のくだりがたまらなく好きだったゆりやんレトリィバァ、温もりを感じる卓越した人間描写と最高すぎる父と子の再会大喜利だったマツモトクラブ、しかしやはりハリウッドザコシショウの存在感とスタイルの圧勝だったと思う。
CRAZY FOR BaseBallBearの季節
正直に言うと、表紙がBUMP OF CHICKENだったから、その音楽雑誌を買った。
BUMP OF CHICKENが「supernova」「カルマ」のシングルをリリースした頃だった。
当時BUMP OF CHICKENの音楽に心酔していた俺は、何度もその二曲を聴きインタビューを何度も読んだ。
中学3年生の季節がまもなく終わりを告げようとしていた。
パラパラと他のアーティストのインタビューを読んでいると、ある一組のロックバンドが気になった。その記事に添えられた「熱い気持ちを叫ぶだけのような季節はもう卒業済みだ」というようなフレーズが印象的だった。
様々なアーティストに今年聴いたアルバム5枚を紹介するというコーナーがあった。
そのコーナーで5枚ともXTCのアルバムを挙げているアーティストがいて衝撃的だった、それがBaseBallBearの小出祐介だった。
高校生になった。
BaseBallBearの「C」というアルバムを聴いていた。
BaseBallBearが大好きだった、一時期メールアドレスに「base_b_bear」という文字を入れるくらいに。
BaseBallBearの「C」の収録曲を聴くと、ふとした瞬間に高校生の頃に見た景色を思い出す事だって少なくない。
BaseBallBearの曲には、青春の甘酸っぱさだけでなくほろ苦さも曲に込められている部分が好きだった。
「新呼吸」というアルバムをリリースした頃、俺はもう大人になっていた。
一番好きなアルバムはこのアルバムかもしれない。
「新呼吸」以降、青春真っ只中の季節を終えて己の青春時代を懐かしみながらも大人の階段をBaseBallBearが登り始めていく印象があった。
BaseBallBearが奏でる明るさとほろ苦さの絶妙なバランス感覚。
俺がBaseBallBearの好きな部分はリアルタイムさ、だ。
最初のアルバム「C」「十七歳」の頃は青春時代を歌いながらも、「新呼吸」「二十九歳」「C2」とリリースを重ねる度に徐々に青春時代を卒業し社会で生きていく若者たちの気持ちを歌っている気がした。
高校生の頃に「C」を聴き始めた俺としては、このリアルタイムな青春の流れがすごく気持ちと重なったのだ。
夕方。
衝撃的なニュースを知った。
勝手ながらBaseBallBearは四人の誰もが欠けることの無いロックバンドだと思っていたからだ。昔BaseBallBearのライブを見に行った時に湯浅さんのギタープレイを目撃した瞬間、その迫力とカッコ良さに打ちのめされた。
ライブ中「yoakemae」のイントロが鳴った瞬間、大好きな曲だったのでテンションが上がり「yoakemae」だ!と言ったけど多分誰にも聞こえなかったと思う。
「何もない手のひら開いて
何もないこともわかったから
ここからが明日と決めた
ほら、朝が来るよ」
絶望の暗がり、生きていく中でのほろ苦さも全てBaseBallBearは歌っていく。
これからも俺はBaseBallBearの曲と一緒に生きていくつもりだ。
2008年3月1日
初めて聴いたのは中学生の頃だ。「HELL-SEE」というアルバムを聴いた衝撃は忘れ難い。
よく寝る前に聴いていたイメージがある。
夜の暗い部屋、壁にぷすぷすと貼られた新世紀エヴァンゲリオンのカードが薄ぼんやりと目に飛び込む。
「あいさつは HELLO,HELL こんにちはいったいここはどこだ」
イヤホンの中、五十嵐隆が歌ってる。
あの頃学校の近くに本屋さんがあって、そこのCDコーナーには「delayed」「delayedead」「My song」「Mouth to Mouse」のアルバムが並んでいた。「いつか買いたいなー」と思っていたら月日は流れ、本屋さんは潰れてコンビニになっていた。
一応店内を探したが「delayed」も「delayedead」も「My song」も「Mouth to Mouse」も無かった。
高校生の頃、一時期メールアドレスに「hell-see」という文字を入れるくらいに俺はそのバンドがその音楽が好きだった。「HELL-SEE」の収録曲を聴くとふと夕暮れ時の高校の通学路の景色が浮かぶ事がある。
ある日の事だ。
本屋へ行った時、平積みにされてるロッキングオンジャパンが気になった。
表紙が銀杏BOYZだったからだ。
ふと表紙の端に目をやると衝撃的な事実が載っていた。
「嘘だろ」という言葉が思わず口からこぼれた。
「Syrup16g解散!」
表紙の端の小さな文字だったが俺にとっては大事件だった。
心に空洞が空いたような気持ちになったままロッキングオンジャパンを一冊買い本屋を出た。
そして2008年3月1日、Syrup16gは解散した。
I'm劣性、天才、リアル、神のカルマ、手首、真空、ソドシラソ、I.N.M、生活、......Syrup16gの楽曲にこれまで何度背中を押され救われたことだろうか。
これほどまでに心の最深部に共鳴し抱えた孤独に反響する歌があるだろうか。
ポケモン20周年記念〜俺とポケモンについて〜
小学生の頃、給食の時間。
校内放送ではkinki kidsの「硝子の少年」が流れていたのをよく覚えている。
キンキの熱烈なファンでは無いのに何故かこの曲だけは大好きなのは多分懐かしさがあるからだと思う。
小学生の頃はポケモンが全てだった。
まるで何かの勲章みたいに、ポケモンパンに付いてくるおまけのシールをランドセルに貼っている友達がいた。
ある日遊びに来た友達が、玄関で一冊の漫画を取り出し「ポケットモンスタースペシャルの3巻読んだ?めちゃめちゃ面白いぞ」というような言葉を言った。
偶然にも俺もポケットモンスタースペシャル3巻を買ったばかりだった、タイミングの良さに二人で大笑いしてしまった。
ポケモンのアニメも夢中で見た。
90年代。
小学生の俺に多大な影響を与えてくれたのは「新世紀エヴァンゲリオン」でも「ダウンタウンのごっつええ感じ」でも無かった、ポケットモンスター通称「ポケモン」だった。
一番ゲームに熱中していた小学生から中学生の頃。
GBポケットの色も赤だったし、当時はもちろん赤バージョンを買った。
パッケージのリザードンのカッコ良さ、惚れ惚れする。
「ハナダのどうくつはやばい」「アメリカに行ける裏技」「100レベル」「つのドリル」会話の中にそんな単語が飛び交う学校の休み時間だった。
見えない透明なモンスターボールが弧を描いた。
シオンタウンのBGMが怖いことは有名だけどシルフカンパニーのBGMも結構怖い気がする。
ポケットモンスター金銀が発売された時の衝撃ったら計り知れなかった。
コロコロコミックや攻略本の数ページにある開発中の画面の見たことも無い町の写真がワクワクさせた。
あれはクリスマスの日だった。
枕元にポケットモンスター銀のソフトが置いてあるのを見つけた瞬間嬉しくなった。
金銀バージョンから時間設定がある。
現実世界が夜ならばゲーム内も夜。
この時間設定のリアルさ、ポケモンの世界と現実がシンクロしたみたいですごくテンションが上がった記憶がある。
コガネシティとヤマブキシティを何度リニアで往復しただろう。
なかなか出現しないマリルを捕まえた時の喜び。
デルビルを捕まえたくてタマムシシティの横の草むらを何度もウロウロした。
気がつけばレベルボールばかりをガンテツさんに依頼していた。
ジムリーダーツクシの使うストライクのカッコ良さはハンパじゃない。
エンジュシティからアサギシティへと繋がる道の景色がゲーム内とはいえすごく好きな景色だった。
ポケットモンスタールビーも夢中になった。「ひみつきち」や「コンテスト」など多数の新機能新キャラ新イベントに胸踊った。
画面のグラフィックも格段に進化しそこには雨も風もあった。
アブソルのカッコ良さ。
かしこさコンテスト、ノクタスで優勝したっけ。
ポケットモンスター20周年。
気がつけばもう大人になっていて、ゲームとは遠く離れてしまっている自分がいる。
でもポケモンとの思い出は忘れられない。
ゲームの原体験。
懐かしきノスタルジーとともにポケモンの思い出は俺の記憶の中に「でんどういり」しているんだ。
大森靖子「愛してる.com」
夜9時過ぎ、仕事を終えて帰宅。
面白そうなテレビ番組が見当たらなかったから、YouTubeを見つつ夕飯を食べる。
「クイズタレント名鑑」の人気コーナー「芸能人検索ワードクイズ」で「やっつけ仕事」「虚言症」「修羅場」という検索ワードが出て散々ふざけた解答を連発した後「本能」という検索ワードが出た瞬間に「はい、椎名林檎さん」とサラリと正解を出す有吉弘行の姿、その切れ味何度見てもカッコいい。
「MUSIC JAPAN」に大森靖子が出演する事を思い出しテレビをつける。
かしゆか、可愛い。
俺は、大森靖子のライブを一度見た事がある。
あれは確か2014年の夏だ。
大森靖子というアーティストがいる事は知っていたけれど曲は聴いた事が無かった。
ライブで初めて大森靖子の曲を聴いてものすごい衝撃を受けた、過剰なまでにエモーショナル、大森靖子という人物が生きてきて感じてきた気持ちを全て出し切るような歌、狂気と可愛さ、相反する二つが奇跡的に合わさった世界観。
とにかく圧倒された。
生の大森靖子の歌は想像以上に濃い、絶対忘れられない気がする。
曲名を全く知らないでライブに行ったので当時のセットリストは全然わからないが、今思い返せば「デートはやめよう」は歌っていた気がする。
MUSIC JAPAN、大森靖子が登場した。
「愛してる.com」という曲を披露していた。
突き抜けたPOPさ、何度も聴きたくなるような魅力がある曲だった。
大森靖子が歌い終わる。
反射的にテレビの電源を消す。
夜の静寂が部屋を覆った。
ダイノジ、めちゃイケを救ったラジオスターじゃない方芸人
朝早くから仕事だった事と、夕食の時に氷結ストロングゼロを1缶飲んでしまったのが原因だろう、睡魔襲来、こたつに入ってウトウトしていた。
「めちゃイケ見たいなーでも眠いな」
そんな事をボンヤリ思っていたら、つけっぱなしのテレビからめちゃイケが流れてきた。
眠気が吹き飛んだ。
眠気と同時に「三ちゃんファンでも無いしフジ縛霊見れたらいいや」という軽い気持ちも吹き飛んだ。
俺は、めちゃイケの熱烈なファンでは無い、それこそオンエアをずっと追いかけているわけでもないし「とぶくすり」時代も知らない。
小学校の後半、中学生になるかならないかくらいの頃から気がつけば「めちゃイケ」を見ていた。
当時は社会問題となった映画「バトルロワイアル」をパロディにするその姿勢も含めて。
大人になってからでも、ふとした時にめちゃイケを見ると笑ってしまうことがある。
最近だとやはり「フジ縛霊」のコーナーである。
今回のめちゃイケは「三ちゃん」がメインの企画だった。
めちゃイケの新メンバーオーディションで選ばれた一般人である。
新メンバーオーディションによって装いも新たに「めちゃイケ」は次章へ向かっている気がした。
賛否両論の声を浴びながら、時には視聴者からの批判も浴びながら、バラエティ番組の代表として常に第一線を退かない存在、それがめちゃイケだと思っていた。
三ちゃんの熱烈なファンでは無い。
でも何気なく見るとドッキリ企画はやはり面白いし笑ってしまう。
今回のめちゃイケの企画はシリアスだった。
要所要所にメンバーの面白い一言はありつつも(濱口に対しての矢部の「いつから標準語なったん?」など)全体的にはどことなくマジメな空気が立ち込めていた。
オファーシリーズなどでもその「ドキュメンタリーな視点」を持ち込むことで他のバラエティー番組には無い深みを増す事があるめちゃイケだが、今回もマジだ。バラエティー番組でおなじみの華やかな舞台セットは影を潜め、会議室らしき部屋で話すめちゃイケメンバーと三ちゃん。
「プロレス企画をやめてお笑いをやりたい」以前放送された三ちゃんのプロレスデビュー企画はなかなかに過酷で、勝手ながら三ちゃんという人物とプロレスというカルチャーは相性が良くなかったと感じた。
正直、見ていて何とも言えない気分になり途中で見るのを断念してしまった。
プロレスの事は無知だがプチ鹿島、博多大吉、水道橋博士などがメディアで熱く語る姿を知っているので並々ならぬ愛を持つ方が大勢いる世界だと思っている。だからこそ番組でプロレスの世界に踏み込むのはかなりの覚悟がいるかと思ったのだ。
会議室で、本音を切り出せない三ちゃんにメンバーからの声が上がる。
俺は特によゐこ濱口の発言が印象的だった。
よゐこ濱口も真剣だった。
「ナイナイのかっこいい部分だけをやりたいんじゃない?それはズルいよ」
ナイナイ、特に岡村隆史への憧れを持ってめちゃイケ新メンバーオーディションの扉を叩いた三ちゃんにかける言葉としてはあまりにも過酷だが、そんな過酷な言葉を投げざるを得ないくらいに、この時のよゐこ濱口は真剣だったのだろうと思った。
お笑い芸人を目指し、相方と組んでネタ見せをしているシーンへと場面は切り替わる。
ダイノジ。
番組後半、「フジ縛霊」の映像が流れる。
そこでダイノジのトークがピックアップされていた。
「俺ら(オーディション)落ちてんすよ」と相変わらずかすれた声で大谷ノブ彦は言った。
以前の「フジ縛霊」でもはねトビメンバーのトークが盛り上がった時に後ろの列にいた大谷ノブ彦が「いや、でも俺落ちてるからね」というような発言をしていた。はねトビメンバーを発掘した「新しい波8」の事だと思う。明らかにトークのアクセルを強く踏み込みnetsuが炸裂するかと胸が高まった瞬間に、加藤浩次がラジオDJのネタをふった。
あれは番組の雰囲気を考えての機転だと思う。
大地さんの悔し涙に思わずもらい泣きしそうになった。
もう一度めちゃイケオーディションを受けるべきだのあの一言で、迷走していた番組の空気が変わった気がした。
今後、めちゃイケの行方はどうなっていくのだろうか。
バラエティ番組の代表格としてどうか沈まないでほしい。