FamilyMartってTommy heavenlyとちょっと文字の雰囲気が似てる気がするBlog

何気ない日常、音楽や映画や小説やテレビなどの感想。

MOROHAがテレビ(地上波)に出たのを見逃したのが悔しくて狐火の「MOROHAがテレビ(地上波)に出た夜」を聴いた夜

「しゃべくり007」にMOROHAが出るのをうっかり見逃した、悔しい。

「見たいなー」と思ったテレビ番組を見逃す、たまにあるこういう出来事。

別に見るつもりはないのに、土曜日の昼下がりに夜勤を終えてサンドイッチをモサモサと食べながらタカアンドトシ温水洋一とコロッケの旅番組はしっかり見てしまう事はあった、番組途中からなのにも関わらず。

 

見逃した悔しさを払拭するかの如く、狐火の「MOROHAがテレビ(地上波)に出た夜」という曲を聴いた。

次の曲の「僕じゃダメなんですか」が始まり「子育てに夢中の同級生を見る度 たくさんの季節が通り過ぎた事に気付く」というリリックに深々と心を射抜かれた。

初めてこの曲を聴いた時もそうだった、このリリックを聴いた瞬間に思わず「うわ」という声をこぼしてしまった。そのくらいに衝撃的だった。

 

YouTubeで初めてMOROHAのMVを見た時も衝撃的だった。

ギターとボーカル。シンプルな構成で作り上げられた曲は力強い。

MOROHAの曲は飾らない。

無骨さを前面に押し出したような真っ直ぐな曲の雰囲気に「少しは飾ったりしないのか」と余計な心配をさせる程に飾らない。

 

抒情的に時に情熱的に爪弾かれるギターの音色と、底知れぬ熱量の歌声。

 

「三文銭」の曲にグッときた。これでもかと畳みかける本音。

そのストレートすぎる本音は俺の心に全弾命中した。

 

「上京タワー」という曲のMVを今日チェックした。

初めてMOROHAの曲を聴いた日の衝撃がよみがえってきた。

相変わらずその音色にこぼれんばかりに乗せられたてんこ盛りの言葉は心に容赦なく響く、刺さる、命中する。

先日読んだ山内マリコの小説『ここは退屈迎えに来て』を彷彿とさせるような世界観。田舎の閉塞感とノスタルジーと温もりと優しさが渦巻くあの感覚。

 

カラオケで老若男女が楽しく歌う曲では無い、踊れてノリがいい曲では無い、パリピにも世のJKにもきっといや絶対にウケない。圧倒的な人気の頂にいるアイドルやダンスユニットには敵わないかもしれない。

 

けれどMOROHAの曲も狐火の曲も必要な人がいる。

何人かはまず一人はいる確実に、それは俺。

MOROHAの曲、狐火の曲が響いて仕方ない人がいる。

 

聴いた人の心に最短距離で最高の熱量で気持ちを響かすのがMOROHA、狐火の曲だと思う。

 

しかしやはり「しゃべくり007」見逃したのはやっぱり悔しいな。

あ「サラメシ」も見逃した、もう今日は仕方ない。

 お風呂に入って、眠ろう。

 

 

 

 

『1989年のテレビっ子』を読んで。僕達をくぎ付けにして 一人夢中にさせようとした すべての大人とテレビに感謝します

正直に言う、本で泣いたのはこれで二度目だ。

ちなみに高校生の頃に当時話題沸騰だったケータイ小説『恋空』を読んだけれど一雫も涙はこぼれなかった。

あれは多分中学生の頃だったと思う。
ある日『ギンナン・ショック』というロックバンド銀杏BOYZに関する本を見つけた時だった。
銀杏BOYZが大好きだった俺は驚き、パラパラと立ち読みしてすぐに数々の著名人やミュージシャンが銀杏BOYZについての愛と魅力について語るページが目に止まった。
その中でも糸井重里さんの言葉が特に心にガツンと響いた。

嬉しかったのだ、とにかく。

銀杏BOYZの事を大人たちが認めてくれたみたいで。

「あぁ、俺は銀杏BOYZを聴いてもいいんだな」と心底思った。

嬉しさのあまり、本屋から帰る車中の後部座席で俺は泣いてしまった。
TVゲーム「MOTHER」糸井重里さんのキャッチコピー「エンディングまで、泣くんじゃない」しかし俺はこらえきれずに泣いてしまったのだ。

『1989年のテレビっ子』を買った帰り道、ふとそんな思い出が脳裏に浮かんだ。三月の日曜日。穏やかな昼下がりだった。イヤホンの中ではアジカンの「猿の惑星」が流れていた。

本屋で、大好きな作家さんの一人である「てれびのスキマ」さんこと戸部田誠さんの新刊『1989年のテレビっ子』の手に取って眺めた、本の帯の後ろに綴られた言葉の数々に圧倒された。
その中の最初にある言葉「とんねるずが来たらネットが荒れるから!」「荒れろ!荒れろ!」この言葉が脳内で松本人志太田光の声で再生される。
俺もリアルタイムで見ていたんだもの、「笑っていいとも!」の伝説を。
帯の表にある、誰にとってもテレビが青春だった「1989年」を巡る、僕や君や彼らのための群像劇。という言葉も良かった。グッと涙腺を押され涙が頬を伝った。

そして俺は本を購入し家路を急いだ。

1989年、俺はまだ生まれていない。
俺が生まれる前の、お笑い史を知りたかった。
ページをめくればめくるほどに飛び込んでくるような、ダウンタウン明石家さんまビートたけしタモリとんねるず萩本欽一紳竜etc数々のエピソードの乱れ撃ちに酔いしれた、伝説級の存在感、カッコ良すぎると思った。
芸人たちだけでなくテレビマンたちの激闘っぷりにハラハラした。
読んでいると、萩本欽一さんってこんなすごい人だったのか俺が幼い頃にばあちゃんと一緒に見ていた「欽ちゃんとみんなでしゃべって笑って」というテレビ番組を思い出すなぁなんてそんな風に思い出のスイッチを押される感覚があり、懐かしさが込み上げてくる。

とにかく、夢中になって読んだ。

特に最終章の「テレビの嘘と希望」が心にガツンと響いた。

俺も子どもの頃からテレビが好きだった。
振り返ってみれば「金曜かきこみTV」でミュージシャンのROLLYさんが夕陽が差し込み吹奏楽部の音が聴こえてくる誰もいない放課後の廊下を一人で歩くとSF映画みたいだ、というように言っていたのはすごくステキだった。
めちゃイケフジテレビ警察24時でテレビ局内に出現したダースベーダーからライトセーバーを奪いそれを膝折りした加藤浩次にはめちゃめちゃ笑った。
笑っていいとも!」のグランドフィナーレのお笑いレジェンドたちが集結した場面に熱狂した、何気無く見た「ダウンタウンDX」で期末テストが難しかったという話を始めた若手タレントに「ひっかけが2つあったもんねー」とさらりとボケをかます松本人志のシャープさはカッコ良かった。
ダウンタウン二人のトークのトーンと佇まいのカッコ良さが好きだった。
仕事の休憩時間中に見た「イッテQ」の内村光良さんに爆笑して疲れが吹き飛んだりもした、ヘルメットおじさんブラックに救われた。


読み終えた瞬間に、ふと、やっぱりテレビが好きなんだなぁとあらためて思った。

テレビとお笑い芸人はいつだって、ありきたりな日常を生きる僕達に刺激と笑いと優しさをくれる、見えない手を差し伸べてくれると思う。

多分この先『1989年のテレビっ子』を何度でも読み返すだろう。

この一冊に刻まれた熱量は計り知れないと思う。


R-1ぐらんぷり2016感想〜とにかく安心出来ないハリウッドザコシショウの強さを見た〜

キングオブコントM-1グランプリTHE MANZAI
賞レースの決勝進出者を見る度に「なんでこの芸人が決勝行かないんだよ!めちゃ面白いのに!」と悔しい気持ちになったのは一度や二度では無い。

特に「R-1ぐらんぷり」についてはその悔しい気持ちが濃厚である。
ピン芸日本一を決めるこの大会。
キングオブコントは「コント」の大会だし、M-1グランプリTHE MANZAIは「漫才」の大会。
しかし「R-1ぐらんぷり」は「ピン芸」の大会。
つまりピン芸であればいいので中身は一人コント、歌ネタ、モノマネ、フリップ芸もOKという波乱の大会なのだ。

あと俺が思うに一時期のR-1ぐらんぷりは決勝進出した芸人についているキャッチコピーがどれもカッコ良かった、博多華丸に「冷静沈着な西国の鷹」だったり。
2011年のR-1ぐらんぷりバッファロー吾郎Aさんがネタを披露し審査後に「このあと石原軍団とファミレスに行くネタ
あるのに」というような発言をしていたのも面白かった。

R-1ぐらんぷり2016、俺が大好きなヤナギブソン中山功太ヒューマン中村の御三方が決勝戦に出ないことを知り、「見なくてもいいや」という気持ちになっていたが、しかし結局「R-1ぐらんぷり2016」を見た。
ハリウッドザコシショウが決勝進出という一件だけが気になっていたというのもある。

R-1ぐらんぷり2016、ハリウッドザコシショウは一夜にして伝説となった。

黒いパンツ一丁という出で立ちは「安心してください、はいてますよ」でおなじみのとにかく明るい安村を彷彿とさせるが、同じパンツ一丁でもハリウッドザコシショウの場合は安心出来ない、自由でダイナミックな予測不能のショー、全力で繰り出されるモノマネは恐るべき程のパワーだった。

会場にいるお客さんの笑い声がテレビの画面越しによりクッキリと伝わってきた。
「会場を沸かす」という言葉があるがまさにこの事かと思った。

一時期ハリウッドザコシショウのネタをYouTubeで見ていた。古畑任三郎モノマネ、アシュラマン漫談、ピカチュウ漫談、スネ夫漫談などコアでインパクト大のネタはどれも面白かった。

決勝で披露したコント、そのフォーマットは「モノマネをする」というシンプルな佇まいになっていたが、ネタの芯に秘めたコアさは決してブレず、長年笑いのスタイルを曲げずに見事R-1ぐらんぷり2016という晴れ舞台に上がったハリウッドザコシショウの姿に圧倒された。

最後のオチの一言が絶妙だったエハラマサヒロ、久々に「まえまえまえ」という持ちギャグも披露した小島よしお、絵心と世界観を爆発させたシャンプーハットこいで、敗者復活の勢いそのままに圧倒的熱量だったサンシャイン池崎、畳み掛けるようなスピード感がすごかったおいでやす小田、女性コントの新境地個人的には「待って、もう10月!?こわ」という一言ネタも聞きたかった横澤夏子スタンダップコメディのような厚切りジェイソン、「こういうやつがiPhone作るぞ」の一言で不意打ちのように笑ってしまったルシファー吉岡、服を着て技巧派なフリップ芸を見せたとにかく明るい安村、「イオンの裏」のくだりがたまらなく好きだったゆりやんレトリィバァ、温もりを感じる卓越した人間描写と最高すぎる父と子の再会大喜利だったマツモトクラブ、しかしやはりハリウッドザコシショウの存在感とスタイルの圧勝だったと思う。

CRAZY FOR BaseBallBearの季節

正直に言うと、表紙がBUMP OF CHICKENだったから、その音楽雑誌を買った。

BUMP OF CHICKENが「supernova」「カルマ」のシングルをリリースした頃だった。

当時BUMP OF CHICKENの音楽に心酔していた俺は、何度もその二曲を聴きインタビューを何度も読んだ。
中学3年生の季節がまもなく終わりを告げようとしていた。

パラパラと他のアーティストのインタビューを読んでいると、ある一組のロックバンドが気になった。その記事に添えられた「熱い気持ちを叫ぶだけのような季節はもう卒業済みだ」というようなフレーズが印象的だった。

様々なアーティストに今年聴いたアルバム5枚を紹介するというコーナーがあった。
そのコーナーで5枚ともXTCのアルバムを挙げているアーティストがいて衝撃的だった、それがBaseBallBear小出祐介だった。

高校生になった。
BaseBallBearの「C」というアルバムを聴いていた。
BaseBallBearが大好きだった、一時期メールアドレスに「base_b_bear」という文字を入れるくらいに。
BaseBallBearの「C」の収録曲を聴くと、ふとした瞬間に高校生の頃に見た景色を思い出す事だって少なくない。

BaseBallBearの曲には、青春の甘酸っぱさだけでなくほろ苦さも曲に込められている部分が好きだった。

ある日何気無くミュージックステーションを見ていたらBaseBallBearが登場したので番組に登場する事を知らなかった俺は思わず「BaseBallBearだ!」とテレビの前で言ってしまった。

新呼吸」というアルバムをリリースした頃、俺はもう大人になっていた。
一番好きなアルバムはこのアルバムかもしれない。
新呼吸」以降、青春真っ只中の季節を終えて己の青春時代を懐かしみながらも大人の階段をBaseBallBearが登り始めていく印象があった。
BaseBallBearが奏でる明るさとほろ苦さの絶妙なバランス感覚。

俺がBaseBallBearの好きな部分はリアルタイムさ、だ。
最初のアルバム「C」「十七歳」の頃は青春時代を歌いながらも、「新呼吸」「二十九歳」「C2」とリリースを重ねる度に徐々に青春時代を卒業し社会で生きていく若者たちの気持ちを歌っている気がした。
高校生の頃に「C」を聴き始めた俺としては、このリアルタイムな青春の流れがすごく気持ちと重なったのだ。

夕方。
衝撃的なニュースを知った。
勝手ながらBaseBallBearは四人の誰もが欠けることの無いロックバンドだと思っていたからだ。昔BaseBallBearのライブを見に行った時に湯浅さんのギタープレイを目撃した瞬間、その迫力とカッコ良さに打ちのめされた。
ライブ中「yoakemae」のイントロが鳴った瞬間、大好きな曲だったのでテンションが上がり「yoakemae」だ!と言ったけど多分誰にも聞こえなかったと思う。

「何もない手のひら開いて
何もないこともわかったから
ここからが明日と決めた
ほら、朝が来るよ」

絶望の暗がり、生きていく中でのほろ苦さも全てBaseBallBearは歌っていく。

これからも俺はBaseBallBearの曲と一緒に生きていくつもりだ。



2008年3月1日

初めて聴いたのは中学生の頃だ。「HELL-SEE」というアルバムを聴いた衝撃は忘れ難い。
よく寝る前に聴いていたイメージがある。
夜の暗い部屋、壁にぷすぷすと貼られた新世紀エヴァンゲリオンのカードが薄ぼんやりと目に飛び込む。
「あいさつは HELLO,HELL こんにちはいったいここはどこだ」
イヤホンの中、五十嵐隆が歌ってる。

あの頃学校の近くに本屋さんがあって、そこのCDコーナーには「delayed」「delayedead」「My song」「Mouth to Mouse」のアルバムが並んでいた。「いつか買いたいなー」と思っていたら月日は流れ、本屋さんは潰れてコンビニになっていた。
一応店内を探したが「delayed」も「delayedead」も「My song」も「Mouth to Mouse」も無かった。

高校生の頃、一時期メールアドレスに「hell-see」という文字を入れるくらいに俺はそのバンドがその音楽が好きだった。「HELL-SEE」の収録曲を聴くとふと夕暮れ時の高校の通学路の景色が浮かぶ事がある。

ある日の事だ。
本屋へ行った時、平積みにされてるロッキングオンジャパンが気になった。
表紙が銀杏BOYZだったからだ。
月9ドラマ「恋仲」で福士蒼汰本田翼銀杏BOYZの「BABY BABY」を聴くシーンが流れるのはもっとずっと後の後の後の出来事だ。

ふと表紙の端に目をやると衝撃的な事実が載っていた。

「嘘だろ」という言葉が思わず口からこぼれた。

Syrup16g解散!」

表紙の端の小さな文字だったが俺にとっては大事件だった。

心に空洞が空いたような気持ちになったままロッキングオンジャパンを一冊買い本屋を出た。

そして2008年3月1日、Syrup16gは解散した。

I'm劣性、天才、リアル、神のカルマ、手首、真空、ソドシラソ、I.N.M、生活、......Syrup16gの楽曲にこれまで何度背中を押され救われたことだろうか。
これほどまでに心の最深部に共鳴し抱えた孤独に反響する歌があるだろうか。

五十嵐隆の切なくもドライな歌声、切れ味あるメロディと歌詞、その鋭利な優しさはSyrup16gにしか表現出来ないと思っている。




ポケモン20周年記念〜俺とポケモンについて〜

小学生の頃、給食の時間。
校内放送ではkinki kidsの「硝子の少年」が流れていたのをよく覚えている。
キンキの熱烈なファンでは無いのに何故かこの曲だけは大好きなのは多分懐かしさがあるからだと思う。

小学生の頃はポケモンが全てだった。

理科室の机の引き出しを開けたら、誰かが忘れたギャラドスバトエンが転がっていた。
ポケモンのシール列伝のシールを夢中になって集めていた、当時の自分の学習机にはベタベタとポケモンシール列伝が貼られていた。
まるで何かの勲章みたいに、ポケモンパンに付いてくるおまけのシールをランドセルに貼っている友達がいた。
ある日遊びに来た友達が、玄関で一冊の漫画を取り出し「ポケットモンスタースペシャルの3巻読んだ?めちゃめちゃ面白いぞ」というような言葉を言った。
偶然にも俺もポケットモンスタースペシャル3巻を買ったばかりだった、タイミングの良さに二人で大笑いしてしまった。
ポケモンカードの「リザードン」の強さには驚いた。
フリーザーのキラカードがまるで宝石のように美しかった。
ポケモンのアニメも夢中で見た。
CM前のアイキャッチ「だーれだ?」の声と共にポケモンのシルエットクイズがある。
丸いシルエットだからマルマインビリリダマだと思っていたら答えが「上から見たプリン」だった時の衝撃は忘れがたい。

90年代。

小学生の俺に多大な影響を与えてくれたのは「新世紀エヴァンゲリオン」でも「ダウンタウンのごっつええ感じ」でも無かった、ポケットモンスター通称「ポケモン」だった。
トカゲはトカゲでも、松本人志扮するトカゲのおっさんではなくてヒトカゲの方だった。

一番ゲームに熱中していた小学生から中学生の頃。

GBポケットの色も赤だったし、当時はもちろん赤バージョンを買った。
パッケージのリザードンのカッコ良さ、惚れ惚れする。
「ハナダのどうくつはやばい」「アメリカに行ける裏技」「100レベル」「つのドリル」会話の中にそんな単語が飛び交う学校の休み時間だった。
体育館をポケモンスタジアムに見立ててポケモントレーナーになりきった。
見えない透明なモンスターボールが弧を描いた。
シオンタウンのBGMが怖いことは有名だけどシルフカンパニーのBGMも結構怖い気がする。

ポケットモンスター金銀が発売された時の衝撃ったら計り知れなかった。
誰かが言っていたドンファンデンリュウ、ホウオウが出るんだ、と。
コロコロコミックや攻略本の数ページにある開発中の画面の見たことも無い町の写真がワクワクさせた。
映画「ミュウツーの逆襲」の序盤でレイモンドが繰り出すドンファンのカッコ良さ。

あれはクリスマスの日だった。
枕元にポケットモンスター銀のソフトが置いてあるのを見つけた瞬間嬉しくなった。
金銀バージョンから時間設定がある。
現実世界が夜ならばゲーム内も夜。
この時間設定のリアルさ、ポケモンの世界と現実がシンクロしたみたいですごくテンションが上がった記憶がある。

コガネシティとヤマブキシティを何度リニアで往復しただろう。
ジョウト地方での冒険を終えてカントー地方に降り立った瞬間のワクワク感。
ミルタンクのメロメロ、こおりのぬけみちに苦戦した。
イーブイを懐かせてブラッキーにしたあの喜び。
なかなか出現しないマリルを捕まえた時の喜び。
デルビルを捕まえたくてタマムシシティの横の草むらを何度もウロウロした。
気がつけばレベルボールばかりをガンテツさんに依頼していた。
ジムリーダーツクシの使うストライクのカッコ良さはハンパじゃない。
大晦日にライコウと出会い翌日の元旦にスイクンと出会った事があった、あれは一富士二鷹三茄子より演技が良いのではないだろうか。
エンジュシティからアサギシティへと繋がる道の景色がゲーム内とはいえすごく好きな景色だった。

ポケットモンスタールビーも夢中になった。「ひみつきち」や「コンテスト」など多数の新機能新キャラ新イベントに胸踊った。
画面のグラフィックも格段に進化しそこには雨も風もあった。
アブソルのカッコ良さ。
フライゴンボスゴドラに何度助けられたことか。
かしこさコンテスト、ノクタスで優勝したっけ。

気がつけばもう大人になっていて、ゲームとは遠く離れてしまっている自分がいる。
でもポケモンとの思い出は忘れられない。
ゲームの原体験。

懐かしきノスタルジーとともにポケモンの思い出は俺の記憶の中に「でんどういり」しているんだ。

大森靖子「愛してる.com」

夜9時過ぎ、仕事を終えて帰宅。
面白そうなテレビ番組が見当たらなかったから、YouTubeを見つつ夕飯を食べる。
「クイズタレント名鑑」の人気コーナー「芸能人検索ワードクイズ」で「やっつけ仕事」「虚言症」「修羅場」という検索ワードが出て散々ふざけた解答を連発した後「本能」という検索ワードが出た瞬間に「はい、椎名林檎さん」とサラリと正解を出す有吉弘行の姿、その切れ味何度見てもカッコいい。

MUSIC JAPAN」に大森靖子が出演する事を思い出しテレビをつける。
かしゆか、可愛い。

俺は、大森靖子のライブを一度見た事がある。
あれは確か2014年の夏だ。
神聖かまってちゃんのライブを見に行った時に対バン相手が大森靖子だったのだ。
大森靖子というアーティストがいる事は知っていたけれど曲は聴いた事が無かった。
ライブで初めて大森靖子の曲を聴いてものすごい衝撃を受けた、過剰なまでにエモーショナル、大森靖子という人物が生きてきて感じてきた気持ちを全て出し切るような歌、狂気と可愛さ、相反する二つが奇跡的に合わさった世界観。
とにかく圧倒された。
大森靖子の歌は想像以上に濃い、絶対忘れられない気がする。
曲名を全く知らないでライブに行ったので当時のセットリストは全然わからないが、今思い返せば「デートはやめよう」は歌っていた気がする。

MUSIC JAPAN大森靖子が登場した。
「愛してる.com」という曲を披露していた。
突き抜けたPOPさ、何度も聴きたくなるような魅力がある曲だった。

大森靖子が歌い終わる。

反射的にテレビの電源を消す。

夜の静寂が部屋を覆った。