あの娘ぼくがブログを書いたらどんな顔するだろう、青春時代とはどぉなっちゃってんだよの連続。
まだ高校に入学したばかりの頃。「これからどんな青春が待っているんだろうか」と期待に胸を膨らませながら、電車通学をしている自分を「なんか、青春映画の主人公になったみたいだ」なんて思っていた、あの頃。
確か夏休み前だったと思う。
好きな女の子に告白した。
夏休み前、いきなりの告白。
「君に届け!」と言わんばかりの。風早くんのルックスとは程遠く、爽快感を控えめにした、サブカル男子高校生である俺。青春の1ページを大胆不敵に塗りつぶすかの如く無謀な行為だ。
しかもメールで告白したのだ。
電波に乗って届く現代版恋文を夏の夜空へ飛ばした俺の恋は、「友達としか見れないや、ごめんね」みたいな一言で木っ端微塵。「恋愛対象」という言葉を知ったのは、おそらくこの時ではないだろうか。恋愛対象外。青春ラブストーリーからの戦略外通告。
しかも、高校三年間の間、その女の子とはクラスが一緒だったのだ。クラス替えしたにも関わらず。難易度の高い運命のイタズラだ。
ある日の国語表現の授業中の事。
小論文を書いて提出する課題が出された次の授業の時に先生が「じゃあ参考までに、この小論文をちょっと読んでください」と言って配ったのが、俺が書いた小論文だった。
「お前、数学とかはバカなくせに、文章書くのはすげーな」と友達が冗談で言った。
その時、後ろの席にいた女の子が「そうだよー、◯◯◯(俺の名前)は文章書くの得意なんだよ」と言った。
俺が好きで、告白したあの女の子だ。
高校卒業後は、その女の子とは会ってないし、就職したか進学したかすらわからない。何度か催されたクラス会にも来ていなかった気がする。これから先、偶然会う事なんて、あるんだろうか。
文章を書く事は、昔から大好きだ。
日記や読書感想文など。運動や計算は苦手だけれど、文章を書く事は苦手じゃなかった。
読書感想文なんて、みんな「めんどくさい」と言っている光景が信じられなかった。
俺は「どの本にしようか悩むな」と感想を書きたい本が多くて悩んでいた。
雑誌『ケトル VOL.16』に水道橋博士さんのロングインタビューが掲載されていた。
何気無くロングインタビューを立ち読みしていたら、あまりにも心に響く言葉が多く「これは買おう。買って何度も何度も読みたい」と思って、立ち読みをやめてレジへ向かい購入した。
樋口毅宏さんの小説『さらば雑司ヶ谷』のあとがきで、物語のあるワンシーンについて水道橋博士さんが書かれている「立ち読みをやめてレジに向かいたくなるほど、強烈なフックになっている。」という言葉。まさにこの言葉が脳裏を過ったのだ。
「自分の人生観そのものがフィクションの世界になったから。」
「ずっと大きな物語のなかの登場人物として生きているような気分だよ」強烈なフックだった。
ちなみに次のページの今野杏南さんの写真があまりにもステキすぎたのも、フックになっている。だって本当にタイプのルックスなんだもん。
この雑誌の最初の方に、「水道橋博士のメルマ旬報」の宣伝ポスターの様なページがあるのだが、これも強烈なフックだった。岡村靖幸さん、樋口毅宏さん、西野亮廣さん、酒井若菜さん、園子温さん、碇本学さん・・・連載陣の方々の豪華絢爛っぷり。活字界のアベンジャーズであり、その眩しさは活字界という広大な夜空に燦然と輝く星座の様に思えてくる。いつの日かメルマ旬報を読み耽りたい。
過去のエピソードを友達と話していると、「あの時こうだったよね」「実はあの時さ」などと話が盛り上がり、点と点だったエピソードが繋がっていき、思い出や、青春という名の星座が浮かびあがるような感覚がする。俺はその感覚が大好き。
自分自身の人生が映画化したら。
妄想してしまう。
自分自身のエピソードを、記憶という名のフィルムに焼き付けられたエピソードを、映画化したのなら。
暗闇の銀幕。
3Dじゃなくたってもいい。
浮かびあがる名も無き青春時代。
BGMは銀杏BOYZがいい。
椎名林檎も、BUMPも、BaseBallBearも。
妄想する、想像する。
脳内映画館。パンフレットには自分が影響を受けた作品のリストや年表をのせてみたいな。
文章を書く事が、俺は大好きだ。
想像力で、自分の人生を楽しくしたいんだ。
誰かの物語の主役になれっこないなら、今を生きる俺の、俺自身の物語の主役になろう。
俺はまだ名前の無い映画の主人公なんだと。
自分に言い聞かせてみるのも悪くない。