誰も知らない漫才グランプリ 真夜中のカラオケボックスにて。
「いや、夏ですね。夏といえばプールですが、ブサイクな女の子が多くてね」
数年前の、あの日の夜は忘れ難い。
初めて友達と夜中から朝まで遊んだ楽しい夜だったし、何よりも、お笑い芸人でも漫才師でもない俺が、お笑い芸人や漫才師にものすごく憧れていた、俺が漫才をした夜だから。
社会人一年目の頃の話だ。
ある日の夜、友達から誘いの電話がきた。中学生の頃のメンバーでカラオケをしているらしく、楽しそうな雰囲気を感じとった俺はすぐに合流した。
カラオケで何を歌ったんだろうか。
カラオケも盛り上がった頃、友達が「ちょっとペアになって漫才やろうぜ」と言い出した。一発ギャグ大会やろうぜ、みたいな軽いノリだった。
漫才という響きにワクワクした。
漫才が、できる。
ずっとずっと憧れていた、漫才が。
ノープラン。構成もメチャメチャ。
正直、漫才ごっこみたいなものだろうけれど、だけれど最高に楽しかったんだ。「いや、夏といえばプールですが、ブサイクな女の子が多くてね」
いきなりの毒舌。この頃某動画サイトでツービートさんの漫才を見て衝撃を浮けたばかりだったからだろう。
でも切れ味のある漫才がやりたいという気持ちは、今考えれば、ハリガネロックさんの影響なんじゃないだろうか。
ハリガネロックさんが「最近イチャイチャしてるカップルが許せない」みたいな漫才を披露していて、あの漫才がすごく大好きだったから。
男の子ならプロ野球選手やサッカー選手に憧れるというイメージがある。
しかし、俺はそのイメージには当てはまらなかった。
理由はスポーツが苦手だから。
小学生の頃の休み時間にみんなで遊んだ時のサッカーが、今までで一番楽しかったスポーツ体験だ。
映画「桐島、部活やめるってよ」のサッカーの授業のシーンで、うわーやめてーと悲鳴を上げてしまうタイプだ。
スポーツ選手には憧れなかった俺だが、「M-1グランプリ」という大会が、俺の憧れスイッチをONにした。これだ!と思った。ステージ中央のセンターマイクに向かってくる漫才師の姿に、しゃべくる姿に、観客を爆笑させるその姿に、俺は憧れたのだ。
それは少年がホームランを打つプロ野球選手や華麗にシュートを決めるサッカー選手に憧れる気持ちと、多分同じ。
俺の場合は、それがフットボールアワーさんの、ますだおかださんの、オードリーさんの、ブラックマヨネーズさんの、東京ダイナマイトさんの、POISON GIRL BANDさんの、ダイノジさんの、スピードワゴンさんの、キングコングさんの、麒麟さんの、2丁拳銃さんの、M-1グランプリでの漫才だったんだ。
センターマイクが一番似合う漫才師は、やっぱりハリガネロックさんだと俺は思う。
カラオケを終えて、なか卯で腹ごしらえをした後は、友達の運転で、当てもなく夜のドライブに出かけた。
車中でのくだらないおしゃべりと真夜中特有のテンションが楽しかった。
もし、自分の人生が映画化するなら、この日の夜の場面は絶対に入れたい。
だって最高に楽しかったから。
窓の外、見える空、夜から朝へと変わるグラデーションが鮮やかだった。早朝の町はまだ眠っているかのような静けさだった。バイバイ、走り去る車の音が響く。
俺と友達の漫才が、ノープランでめちゃくちゃだったから、見ていた友達は笑っていたのかもしれない。
カラオケボックス。見えないセンターマイクに向かって、俺は喋り続けた。
あの日の夜。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬かもしれないけど、大好きなハリガネロックさんみたいになれるかもしれないって、ワクワクしながら俺は喋っていたんだ。あの日の夜、ほんの一瞬、ほんの一瞬だけでもいいんだ。
俺は、漫才師になりたかった。
サンキュー。