イノセントワールド
小学校の卒業アルバムに「みんなの夢」という将来の夢が書いてあるページがある。
小学校の卒業アルバムの中でも最も無垢な輝きを放っている気がする。
自分がなりたい職業、やってみたい仕事を何も考えずに堂々と、その仕事に就くためにはどんな風な事をすればいいかなどおおよそ知る由も無く、子どもらしさ全開で「夢」を語る事の出来るサンクチュアリ。
これが高校生になると「将来的に本当にその仕事でいいのかどうか」「進路」「偏差値」「進学か就職か」などといった様々な要素によって胸に抱いていた「将来の夢」はトランスフォーマーの如く変形を繰り返していく。
「小説家になりたい」
小学生の頃の俺は卒業アルバムにそう書いた。多分この世にある卒業アルバムの「将来の夢」の欄に「小説家になりたい」と書いた人、クラスに一人はいるんじゃないだろうか。
物心ついた頃から本を読むのが好きだった。
ズッコケ三人組、パスワードシリーズ、夢水清志郎シリーズ育ち。
近所の悪ガキ三人組が怪現象と対決する「地獄堂霊界通信シリーズ」も好きだった。「悪そうなやつはだいたい友達」じゃなくて「悪がきシリーズ読んでるやつはだいたい友達」だったのだ。
本が、物語が好きだったから小説家になりたかった。
もしかしたら「卒業アルバムに書けば将来の夢は実現するんじゃないか」と淡い妄想と期待を抱いて当時の俺はそう書いたのかもしれない。
2004年。「小説家になりたいな」という将来の夢を、着慣れない制服の学ランの内ポケットに忍ばせるかの如く胸の内に秘めていた中学一年生の俺の脳天に、あるニュースが直撃した。
当時19歳と20歳という若者二人が、芥川賞を受賞したのだ。おぼろげな記憶ではあるが、先生が新聞記事を持参して生徒たちに「このニュース知っていますか」と紹介していた記憶がある。普段あまり熱心に本を読む雰囲気じゃないようなクラスメイトも「『蹴りたい背中』」「『蛇にピアス』」と作品名を口にしていたり、朝の読書の時間に教室でちらほらと『蹴りたい背中』の水色の表紙が見えたり、そんな光景があった気がする。センセーショナルなニュースだった。
「19歳」「20歳」という若い二人が小説界において名誉ある賞を受賞した。
このニュースを知って「すごい、カッコいい」と思った。気鋭の若手作家が小説界に風穴を開けた、そこから吹いてくる風が、中学の校則で禁止されているヘアワックスで髪をセットしたこともない冴えない俺の髪を撫ぜた。
当時を思い返せば『蹴りたい背中』を読んでいる人がほとんどだった。
中学生に『蛇にピアス』は衝撃的すぎて手が届かないのかもしれない。
しかし「みんなと違う事がカッコいい」という中学生特有のセンスをこじらせていた俺は、必然的に「金原ひとみ」に惹かれた。
当時、綿矢りさと金原ひとみ二人の対照的な雰囲気も印象的だった。ちょっと派手な髪色でクールに佇む金原ひとみの「瞳」に心射抜かれたのかもしれない。
『蛇にピアス』を読んだのは、高校一年生になってからだった。
制服は学ランからブレザーに変わった、でもまだ「小説家になりたい」という夢はブレザーのポケットに入っていた気がする、真新しい携帯電話と一緒に。
憧れていた金原ひとみの『蛇にピアス』は、俺に深い衝撃を与えてくれた。
金原ひとみ、桜井亜美、本谷有希子、町田康の4人の作品が特に大好きだった。
俺が抱えた冴えない青春時代のモヤモヤや鬱憤を吹き飛ばしてくれた物語、戸梶圭太の『グルーヴ17』や金城一紀の『レヴォリューションNo3』も忘れがたい。
あの頃「小説家になりたい」という思いを抱いていた思春期の少年少女たちにとって、綿矢りさと金原ひとみの存在は大きかったと思う。少なくとも俺は、あのニュースがなければ、より多くの物語に触れようと図書室や図書館などの活字の森林へ足を踏み入れていく事はなかったのかもしれない。「いつか小説を書くぞ」という思いを胸に秘めながら、未知なる物語求めて背表紙や表紙を見つめ、ページをめくっていたあの頃。