FamilyMartってTommy heavenlyとちょっと文字の雰囲気が似てる気がするBlog

何気ない日常、音楽や映画や小説やテレビなどの感想。

僕らが樋口毅宏にさよならできない理由

樋口毅宏の小説『さらば雑司ヶ谷』の巻末解説で、水道橋博士が「この本を読めと後押しされるキッカケが3回あった」と書いているが、俺の場合は2回だった。

1回目は水道橋博士が自身のブログで『さらば雑司ヶ谷』を取り上げていたこと。
そして2回目は『さらば雑司ヶ谷』の続編『さらば雑司ヶ谷R.I.P』の帯に千原ジュニア伊坂幸太郎がコメントを寄せていたこと、店内でその本の帯を発見した時は驚いた。
多分「えっ!?」と声に出して言ってたと思う。
探していた本やCDを偶然見つけた時などに「うわ!」や「マジかよ」などとついつい言ってしまうクセが俺にはあるのかもしれない。
中学生の頃にナンバーガールのアルバムを見つけた時もそうだったし、最近だと清野とおるの漫画『東京都北区赤羽を見つけた時もそうだった。

水道橋博士千原ジュニア伊坂幸太郎と俺が大好きで憧れている御三方を夢中にさせる小説家って何者なんだろうか?と気になったあの瞬間に、樋口毅宏が紡ぐ物語の世界へと一歩足を踏み出していたのだろう。

物語の面白さはもちろんだが、やはり俺が樋口毅宏作品を読んである種一番印象に残っているのは物語の最後のページに載っている膨大な「引用リスト」である。
小説、映画、音楽だけでなく雑誌のインタビューやラジオまでもが物語の血肉となっている、こんな小説を読んだのは初めてだった。

樋口毅宏の『さよなら小沢健二』を読んだ。
こんな本を待っていた。
帯には「サブカルクソ野郎の人生全コラム」とある。
青春時代、映画や小説や音楽にどっぷりとハマった俺としてはたまらない言葉だ。

もしも今、映画「凶悪」公開当時のある日にタイムスリップして戻ったとして、映画館でパンフレットを買い、樋口毅宏さんが寄稿したコメントを早く読みたいがあまり「袋いらないですそのままで」と言ってしまい、結果真っ黒な表紙に「凶悪」と書かれた鬼気迫る表紙のパンフレットをむき出しにして歩くこととなったあの時の俺に、歩きながら「樋口毅宏さんのコラム集とかいつか発売されないかな」とぼんやり思っていたあの時の俺に「樋口毅宏さんのコラム集、発売されるぞ」と言ったらどんな顔するだろうか。

ヒミズ」が映画化、監督は園子温というニュースを知った時も多分俺は「えっ!?マジかよ」と言っていただろう。大好きな映画監督による「ヒミズ」の映画化、そのタイミングに重なるようにして世に解き放たれた『新装版 ヒミズ』その巻末に寄稿された樋口毅宏の文章は何度読み返してもハッとするほど鋭く凛々しかった。
文章の始めに「多くの人がそうであるように、僕も初めて読んだ古谷実のマンガは『行け!稲中卓球部だった』」という言葉があるそれを読んで自分も初めて読んだ古谷実の漫画は稲中だったなと思った。
小学生の頃に友達の家でビデオを見た記憶がある、今になってみるとあれは稲中のアニメだったんではないかと思う。
稲中』で描かれている物語に「何やってんだバカ」と笑い後々読んだ『ヒミズ』で描かれている冷たい世界観に「何やってんだ、バカ......」と絶望し打ちのめされた。

番組タイトルも忘れてしまったが、何気なく見た歌番組に岡村靖幸が出演していた。「年下の男の子」のカバーを披露していた。インパクトありまくりのカバー、それを見た当時中学生だった俺は「まぁっかなりんごをほぉばぁるー」とモノマネした記憶がある。
何年も時が過ぎ、ドラマ「モテキ」がキッカケで岡村靖幸の曲を聴いた。カッコ良かった。「なんでもっと早く聴かなかったんだ」と思った。
何度も読み返した『ユリイカ』の岡村靖幸特集の号にあった樋口毅宏の「岡村ちゃんと私」という文章も最高だった。
樋口毅宏自身のエピソードや記憶とその時に聴いた、流れていた岡村靖幸の楽曲とがリンクしている感じがたまらなかった。

古屋兎丸の漫画『ショートカッツ』に出てきたな、あとスチャダラパーともコラボしたなという漠然とした思いしか持っていなかった俺だが『さらば雑司ヶ谷』『さらば雑司ヶ谷R.I.P』を読んで小沢健二の印象が変わった。
オザケンの曲を聴こうと思ったキッカケの一つは間違いなく樋口毅宏の小説である。

映画「凶悪」、古谷実岡村靖幸小沢健二について樋口毅宏が綴った俺を夢中にさせた文章たちが『さよなら小沢健二』には収録されている。
帯にもあるように園子温電気グルーヴandymori、映画「桐島、部活やめるってよ」などなど様々な映画や音楽などについての思いがギッシリ詰まっている一冊だった。

こんなにも面白く、赤裸々で、刺激のある樋口毅宏の文章にさよならなんて出来るわけがない、これからも俺は樋口毅宏が紡ぐ物語を読んでいきたい。